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家庭内に弱者はいない

家族の中に弱者がいる。
だから、自分が助けてあげないと
いけないんだ。

あいつは心配だ。できるはずはない。
だから、自分が指南しなくちゃならないんだ。
そんなバカげたことを
ずっと考えてきたんだ。

でも、ある瞬間に気づいたんだ。
弱者と思っていた人の中にある、
太い自分軸を。

そして、絶対にこれ以上は
侵害させないとする、
危機管理のデッドラインを。

ただし、絶対絶命になった、その時にしか、
そのカラータイマーは発動されないんだ。
普段は弱者を演じているから、厄介なんだ。

いったんそのゾーンに入ったら、
もうテコでも動かない。
誰の言うこともきかない。そんな感覚である。

優柔不断なんてあり得ない。
誰の話しも聞かない。
猪突猛進、空気も読まない。頑なで命がけの、
そんな強い意思が現れる。
そういう瞬間があるんだ。

「自分らしく生きることができない」

そう感じた瞬間に、絶対に譲れないという
強固な意志は、発動されるんだ。
これだけは、誰にも、くつがえすことはできない。
そんなとんでもないパワーを、
家庭内弱者から感じたんだ。

その意思のパワーに比べたら、
自分のへなちょこさに呆れる。恥ずかしくなる。
それくらいの勢いなんだ。

結局自分は、傍観者だったんだ。
当事者意識がないから、ヘラヘラしている。
そこの違いだったんだ。

当事者意識の違いで、家庭内で強者と弱者が
入れ替わっちまう。
真剣度合いが違うってこと。
つまりはそういうことなんだ。

自分の弱さを徹底的に見つめるってのは、
つらく苦しい作業である。

内面だけでなく、外側の世界も
厳しくなるからである。

でも、そうやって
自分の弱さにエネルギーを
注いでいけば、ある日突然、
こういうことに気づくんだ。

それはまた、自分もまた、
同じようにとんでもなく
強固な意思を持っているってこと。
そいつを意味しているんだ。

もっといえば、いやもうすでに
発動していたってこと。
そういう事実に気づくんだ。

家庭内には、強者も弱者もいない。
強弱は当事者意識の違いで、
場面によって変わるんだ。

自分軸を揺るがすことに対しては、
誰しもが強い意思を示す。
絶対に妥協は許さない。
そんな強い矜持を持っている。
そういうことを学んだんだ。

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