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人生の先輩として

たとえば、算数の宿題が嫌で嫌で
しょうがない小学4年生に。

たとえば、「やりたいことなんてないよ」と
進路指導中にふてくされた中2の教え子に。

たとえば、終わりのないノルマに追われ、
入社当時の目の輝きを失いかけた新卒の後輩に。

そう問われたあなたは、人生のセンパイと
してなんと答えるか。

今はわからなくても、
いつか役に立つことがあってね…。
今はやりたいことがなくても、
ここで頑張ると将来の選択肢も広がるから…。
今は辛いかもしれないけど、
乗り越えた先にチャンスがきっと来るから…。

嘘を言っているわけではないけれど、
どこか誤魔化している感じがする。
そんな後ろめたさを覚えたことがある人も
いるかもしれない。

「頑張る理由」は、
そうやって”未来”への期待値から
引っ張ってくるしかないゆえに、
”今”この瞬間、嫌だ、やりたくない、
つらい…と訴える声の切実さに、
真正面から応えることができない。

本当は、頑張る理由なんて
考えずに、今、自分が好きなこと、
やりたいことに没頭して
生きていければ、それが一番幸せなんじゃないか。

心の底ではそう思っていながら、
「それじゃあ社会でやっていけないから」と
自分や周囲に言い聞かせて我慢する思考回路を、
僕らはこの数十年で
身につけてしまったようだ。

だからこそ、しがらみのない、
圧倒的に自由な人たちの生き方や
表現に触れると、ちょっと自分の足元が
揺らぐことがある。

好きなことだけ、やりたいことだけ、
没頭して生きる。
こんな理想的な生き方なんて、
一部の天才だけ可能であり、
凡人は皆、働きアリのごとく、
勤勉実直に、好き嫌いを言わず生きるしかない。
そう信じて生きてきた。

でも、人間本来の生き方は、
やっぱりこっちなんだって
気づいてきた。

でも、そのためには、自分を知ることが
大事になってくる。
本当に好きか嫌いかなんて、
自分が思っているような
自分じゃ判断できないんだ。

自分を知り、自分を生きる人は、
そういうことを伝えるんだ。

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