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価値ある目標

肉親の死に2度直面したのが、
10代だった。今思えば、そのあたりから、
生きるということ、死ぬということ、
そして人生というモノを見つめ直すようになった。
そんな自分である。

20代には、「成功とは価値ある目標を
段階を追って実現すること」という
概念に出逢った。求めてきたことが、
この言葉にある。そう感じたんだ。

自分にとっての価値ある目標を
見つけ、その実現に向けて邁進した。
30代のことである。

30代では、「成功とは到達点でなく旅路である」
ということを実感する。
夢実現までのプロセス、ここに宝があるって感じたんだ。

自分の成長、気づき、経験こそが、人生の宝なんだ。
文字通り「成功とは旅路」であった。

自分にとっての価値ある目標が、
実現したのは、なんだかんだで、40代半ばであった。

実現の余韻に浸る間もなく、
不安感でいっぱいになった。

だから、あわてて、新たな価値ある目標ってヤツを
探したはじめたんだ。

簡単に見つかると思いきや、これがなかなか見つからない。
自分が望むことが、まったくわからないんだから
本当お手上げだったんだ。

今思えば、仕方がなかったんだ。
なぜならば、自分の価値観とか信条が、
リセットされた。
そういうたいへんな時期だったから、
目標が見つかるわけはない。
そんなタイミングだったんだ。

新たな価値観が再構築されるまで、
待たなきゃならなかったんだ。
今思えば、無目標、無目的な
自分と向き合うってことは、
本当に恐ろしいんだ。

目標がないので、進むべき方向もない。
目的がないから、生きる推進力もない。
ただただそこに存在しているだけ。
そもそも自分の存在理由も疑わしい。
そんな自分を見つめるのは、
苦痛以外ない。屈辱である。

でも、そうやって、自分の恐怖心や
不安感と日々向きあい、
だんだん自分ってヤツがわかってきた。
そういうわけなんだ。

今までは、他人にも、自分にも
恥ずかしくてずっと隠してきた。
そんな「ありのままの自分」を、
さらけ出したんだ。

そんな自分を見るたびに、最初はとっても
幻滅した。でも、だんだん、
そんなだらしない自分にも、
優しく暖かな目で見つめている。
そういう慈悲深い自分も現れてきた。

日々自分が知らなかった。
そんな自分を発見していった。
それが嬉しくて、楽しくて、
自分にとって至極の喜びだって、
そんなふうに感じたんだ。

いつの間にか、これが、
自分にとっての価値ある目標に
なっちまった。そんな自分なんだ。

「ありのままの自分を知り、
ありのままの自分を生きる」

この目標の実現のために、
目の前の問題を解決するんだ。
だって目の前の問題が、新しい自分の発見を
手助けしてくれるんだ。

問題解決という手段を経て、
自分って人間を嫌というほど、知り尽くすんだ。
骨の髄まで、味わい尽くすってことなんだ。

自分が人生を使ってやりたいことは、
こんな感じなんだって、
あらためて思うんだ。

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