〜高校・大学受験校の選び方〜カタログ受験は終わりにしましょう。

こんにちは、ゆうじろうです。

 私は塾講師として、沢山の受験生を担当し進学のお手伝いをしてきました。生徒や保護者の方が受験校を決める際は、高校・大学の偏差値一覧と、パンフレットを見て何となく進学先を選ぶという事が一般的でした。

 これを私はまるでカタログを見て商品を選んでいるかのような「カタログ受験」と呼んでおり、この現状に危機感を覚えています。果たしてカタログ受験の先に豊かな人生はあるのでしょうか。

 では、どのように受験校を選択すれば豊かな人生となるのか個人的な見解をお伝えします。

1.とりあえずやってみる精神

 自分は何に興味があるかわからない、何も興味がないと言う人がいます。それは何も悪いことではく、まだ自分の興味に当てはまる何か面白い物を見つけれていないだけです。

 そんな人には「とりあえずやってみる」事をオススメします。そうすると自分にピタッとハマる何かが見えてくると思います。体験する事もなければ、好きにも嫌いにもなれません。

色々なものに触れると自分の興味の方向性が見えてくるものです。

 私の例でいうと、以下のものにどハマりしていました。
幼少期:野球、テレビゲーム(当時はPS1、任天堂64、ゲームボーイの時代でした)、ドラム
中学・高校:
ギター、モテるために服や髪型の研究や勉強もしました、音楽フェス、英語をめちゃくちゃ勉強(留学生に恋をしていました)、海外ドラマ、洋楽、サッカー、フットサル
浪人・大学時代:
化学、新書、塾講師(ほぼ毎日授業してました)、ファッション、プレゼン、スマブラやTPS(大会にも出ました結果は散々でしたが。笑)

 結構色々とやってきました、この理由は「どんな人ともその人が好きなものについて一緒に語りたい」からでした。色んな人との会話を楽しむというのが幼い頃から好きでした。

 そんな中、大学は文理融合どちらも学ぶ学部へ進学しました。「将来、色んな価値観やスキルを持った人の間に入って仕事をしたい」という理由で進学しました。大学卒業後、特に自分のスキルが活かせそうで、かつ年収の高い商社に入社しました。

2.努力をしてはいけない

 平均的なサラリーマンより給料が高い大企業に入れば豊かな人生になる、と思い努力して就職活動を行い商社へ就職しました。これが人生で最も、唯一と言っても良いほど後悔した選択になりました。

 就職した企業ではビジネスの基礎、新規事業などを経験することができ感謝しています。しかし、そこそこの給料、仕事をしていてもワクワク感はありませんでした。

周りの人が就職しているから就職してしまった。
お金を貰うためだけに働くということへ興味がなくなり退職を決めました。

 退職を決めてからは、社内の飲み会にも行かなくなり、周りからの言葉も一切耳を傾けない事にしました。一人で考える時間を作り、常に自分は何をしている時ワクワクするか考えました。

 過去の人生を振り返って、ワクワクするのは先述したハマったことをしている時、没頭している時でした。その中で最も人々に価値を与えられるのは授業であると考え塾の開業に至りました。

 努力とは「嫌な事を無理やり行う事」であるのに対して、没頭は「積極的にやりたい事を行う事」であると個人的には定義しています。

 私は努力して仕事をしてしまっていたのです。

 しかし、本当に人生を豊かにするために必要な事は「没頭」ではないでしょうか。人はいつ死ぬか分からないし、いずれ死ぬ生き物です。努力ではなく、没頭しましょう。その為には色々な事に触れて見る事をオススメします。そして「没頭」できる何かを探しましょう。

3.偏差値や給料で選択をすると後悔する

 ここまで没頭する事の必要性を述べてきました。本題に戻りましょう。

「どのように受験校を選択すれば豊かな人生となるのか」

個人的見解は、「没頭できる先へ向かう」です。

 部活、勉強、課外活動、高校生同士で事業をやってみてもいいかもしれませんね。勉強が全てではないという事を強調しておきます。10代のうちに没頭できる事を行っていれば、それは必ずスキルになっているはずです。今やゲームでもお金を稼げる時代になりました、私が幼い頃はあり得なかった事です。何でもいいので、没頭してください。

 そして、残念ながら偏差値やお金は人の人生を豊かにしません。
高い偏差値の大学に行く事や給料が高い会社に務める事は、手段でしかありません。

 大学で研究や部活に、職場で仕事に没頭するあるいは稼いだお金で勉強する事が自分に充足感を与えるはずです。しかし、(日本固有?なのでしょうか)偏差値が高い大学出身=凄い人、給料が低い人=ダメな人という固定観念を多くの人が持っています。そして挙げ句の果てには大学や給料のランキングがあったりします、そのほうが選択が楽なのでしょう。twitterのフォロワーが多いかどうか、みんなが支持しているかどうか気にする人が余りにも多いように感じます。これらの数字が果たしてその人の本質を表しているのか考える必要があります。

 RPGゲームに例えると、偏差値や給料はあくまでその人の装備品でしかなく、装備品を見ても生身のキャラクター(人間)がどのような人かまではわかりません。極端に言えば、レベル1のキャラクターでもそのゲームで最強の武器を身に着けることもできるでしょう。装備品はあくまで装備品でしかないのです。

 つまり、「偏差値が高い≠人間として優れている」という事ではないと認識しておくべきでしょう。そして装備品を求めた人は後悔する事になります。実際に私がそうだったように、偏差値や高い給料というのは私の人生を豊かにはしませんでした。生身の自分を磨いたり、レベル上げをしなければ充足感は得られなかったのです。

 実際に、会社を退社して開業した学習塾での授業や面談時間、広告作成、空き時間で税金等の学習に没頭している日々の方がよほど心身ともに充実しています。

受験生の方、保護者さん「カタログ受験」はやめにして

没頭し続けられる道を選びましょう

End.

 

 


 

 

 

 





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?