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映画「ニンフォマニアック」と「はじまりへの旅」 〜真の欲望には案外気づけていないもの〜
年末年始、2本の映画を観たんです。
これとこれ。
評論的なことは他の方に任せるとしまして、「はじまりのへの旅」に出演している子役の1人が、顔面だけ出た恐竜?のカワイイ着ぐるみを着ていることに私は心が動きました。
それを見た私は妙に楽しくなってきてですね、「子どもを産んだら、我が子には毎日こういう格好させたいなぁ。」と思ったんです。
でも、その数日後、あることに気づきました。
「あの着ぐるみのような格好がしたいのは、実は、この私なのだ…」と。
小さい頃、着ぐるみを着たかったけど着れなかったんでしょう。
色んなバージョンを揃えて毎日違う着ぐるみを着たいですし、ふわふわしてあったかいから、冬は最高でしょう。近いうち、実現させたい。
親が子どもにさせたいことは、大抵、親が子ども時代にできなかったことだそう。できることなら次世代の子どもに、自分の人生を投影したくないですね。前の世代から引きずってきたものは自分の代で終わらせたい(→いわゆるカルマ解消w)ところですが、そんな合理的にはいかないのが子育てというものなんでしょう…。
人は、小さい頃から、どれくらい多くの視線を気にして生きているのでしょうか?
両親からの視線やご近所さんからの視線、友達からの視線、学校や職場など所属している組織、ジェンダー等の理由から、心から着てみたい格好を選べない。
ある特定の世界に長く居続けると、その世界だけが全て(感覚が麻痺した状態)になってしまうのを感じたことはありませんか?
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