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SAVE DATA 第二十三話〈創作大賞2023 イラストストーリー部門〉

SAVE DATA 23

先輩はそれから毎日部活に集中していた。
活き活きとしていたし、緊張感も持っていた。去年よりも、遥かに陸上に没頭している様子だった。

「・・・あ、痛っ!」

ある日、走っている途中、私はよろめいてそのまま地面に倒れた。

「亜理紗っ、大丈夫!?」

咲織先輩が血相を変えて走り寄ってきた。

「ええ、大丈夫です。って、あっ!スパイクが壊れてる」

見ると、スパイクのちょうど小指にあたる横の部分に穴が空いていた。

「あちゃー、中学校から履いてたやつだからなあ」

「それより亜理紗に怪我が無くて良かったわ」

「心配してくれてありがとうございます、せんぱい」

「いいの。ほら、スパイクはもう直したから」

「・・・え?」

スパイクを見ると、スパイクの穴は何事もなかったように無くなっていた。

「え?ええ?確かに壊れてたはずなのに!」

「気にしないで。私の想いが全肯定されただけなの」

「ちょ、超能力ですか?」

私は自分で何を言ってるんだと思ったが、先輩はあながちハズレでもない、という風に何度か頷いていた。

「まあ、なんて言うかさ、ファンタジーとは違って、亜理紗のスパイクに穴が空いてないというのも現実にあり得るでしょ?だから私はその現実を肯定したのよ」

それだけの話、と先輩は笑った。

「さ、無事なら練習戻ろう。怪我しないように気をつけてね」

「・・・はい」

・・・
それから間も無くゴールデンウィークを迎えた。
部活が終わった後も、先輩は走っていた。オーバーワークになりそうなので、私たちは心配したが、最早話しかけることすら憚れるほど過度に集中してた。
どうやったのかはわからないが、3年生を一年やり直したほどだ。その執念は計り知れず、誰も心配を伝えることはできなかった。
ゴールデンウィーク最終日、私は咲織先輩と部室前でばったり出会した。もちろん、同じ部活にいるから会ってないわけではなかったが、あらためて対面するのはとても久しぶりな気がした。

「せんぱい」

「ん。どした?」

先輩は身体中に汗を滴らせていた。その姿を見て、先輩の裸を思い出した。今、無性に先輩と一緒にいたくなったが、喉まで迫り上がってきた ていた欲求をグッと抑えて、口を開いた。

「総体、もうすぐですね。あまり無理しないでくださいね」

私が言うと、咲織先輩は「ああ、うん」と相槌を打っただけで、それ以上特に何か応えることはなかった。

もはや私を見ていない。そんな表情だった。

「せんぱい?せんぱい?大丈夫ですか?」

私が尋ねると、先輩は我に帰ったようにまた相槌を打った。

「ああ、うん。・・・ごめん。なんだか本番でコンディションを崩しがちな先輩のことを思い出した」

私はそれが千晴先輩だとわかった。
唇を噛んだ。先輩は、倉石千晴先輩のことだけしか見ていない。
先輩は水筒の水をゴクゴクと飲んで「じゃあ、練習戻るね」と言って、走って行った。

「・・・せんぱい」

私は呟いた。
目の前に誰もいなくても、私は呟いた。

「・・・咲織せんぱい」

言葉は風にさらわれ消えていった。
どうせならこの鬱陶しい涙も一緒に連れ去ってほしかった。

・・・・・・
・・・

それからゴールデンウィークが明けて二日目に、咲織先輩は事故死した。

事故の日は、ひどい雨の日だった。

学校からは、部活禁止令が出たので、生徒たちは授業が終わると一斉に帰宅した。しかし咲織先輩は帰って、その後にランニングに出ていたそうだ。
総体まで一日でも無駄にしたくないという思いがあったのだろう。
倉石千晴さんの記録を打ち破るために、努力していたことが裏目に出た。
私は悲しみに暮れた。いつか積もった悲しみの総量が現実を変えてくれないかと切に願いながら。

それも全て虚しいことだったと後でわかった。

・・・
先輩が亡くなって一年経った。
私は高校三年生になっていた。初めて咲織先輩の走る姿を見たあの時から、もう2年経ってると考えると、とても不思議な気持ちになった。今日は、先輩が亡くなった日ほどではないが、雨がずっと降り続いていた。
私は墓の前で、傘をさしてしゃがみ込んでいた。

「・・・今日で一年ですよ、せんぱい」

先輩が入っている墓は、他と比べてまだ新しかった。他に比べて小さくて、先輩らしい墓でもあった。

「せんぱい、私三年生になりましたよ。信じられませんよね。私が三年生なんて」

花を挿して、線香に火をつけ、手を合わせる。合わせた手に額を押し当て、呟いた。

「せんぱい、私せんぱいがいなくなって悲しいです」

雨のように、私の眼からも涙が溢れた。
とめどなく溢れて、止まらない。

「私、せんぱいが・・・恋しいです。せんぱいの全てが、忘れられない・・・」

それからしばらく私は咲織先輩の墓の前でしゃがみこんで、墓に当たって弾ける雨粒を眺めていた。
そこで気づいたことがあったが、しかし、それを墓の前では口には出せなかった。
私が家に帰ってきた時にはもう日が暮れかかっていた。雨は昼に比べて強まっており、傘をさしていたのに、結局至るところが濡れる羽目になった。しかし、そんなことはどうでも良かった。私は体を拭くよりも、風呂に入るよりも先に、リビングに置きっぱなしにしていた携帯電話を掴み、連絡先を手繰って、通話ボタンを押した。

「はいはい!どしたー亜理紗?」

意気揚々と電話を取ったのは、去年の先輩、つまり咲織先輩と同級生にあたる陸上部の橋島さんだ。咲織先輩とは一番仲が良かったと記憶している。

「・・・もしもし」

「亜理紗?ごめん、声が小さくて聞こえない!」

声の後ろの方からやたら喧しいところにいるのがわかった。それも、発狂するような男の声や、手を叩くような音が聞こえる。

「・・・先輩、今日何してるんですか?」

「え!何急ぎ!?ごめん、今飲み会中だから後で電話してもいい?ごめん亜理紗、ちょっと遅くなるかもだけど!」

「・・・先輩、今日何の日か覚えてます?」

「え、なになに?何の日?何の話?」

「・・・咲織せんぱいの一周忌ですよ」

「え?あはははは!ちょっとやめて今電話中!あ、うん、後輩後輩!高校の時のね!あ、ごめん、誰の何だって?」

「咲織せんぱいですよ!何の日かわかってます!?」

私は堪らず声を荒げて言った。

「さおりー?」

橋島先輩は不快な声音で咲織先輩の名前を呼んだ。

「・・・・・・ごめん、誰だっけそれ?」

私は反射的に携帯電話を床に叩きつけた。
携帯電話が甲高い音を立てて、床を滑っていくのを見て我に帰り、慌てて拾いに行った。
幸いにも携帯電話は無事で、通話は切れていたが、問題なく操作できた。
私は、うううと唸って携帯電話を握りしめて、もう一度操作した。
今度は、同じく陸上部の先輩だった岡町さんにかけた。

「もしもし」

岡町さんは数コールで出てくれた。そして幸いにも後ろから喧しい声が聞こえたりもしていない。

「・・・もしもし、先輩お久しぶりです」

「つのちゃん?久しぶりだね。どうしたの?」

「あの、先輩、今日何してるんですか?」

「え?今日?・・・別に普通に大学行って、今映画見てたけど」

「そうですか。今日何の日かわかります?」

「今日?」

それから先輩はしばし沈黙を作った後、

「ごめん、思いつかない。あれ、つのちゃんの誕生日は12月だったよね」

「咲織先輩の命日ですよ今日」

「さおり?」

「倉石咲織ですよ!何を言ってるんですか!」

「・・・え、誰それ?インフルエンサーの名前?」

私は反射的に電話を切った。
そして。

「うあああああああああああああああ!!!」

激しく苛立ち、叫んだ。
その後、また別の先輩に電話した。

「おー、角塚、久しぶりだなぁ」

「今日は何の日!!答えて!」

「え?何だよ急に!?」

「今日は咲織せんぱいの一周忌よ!何で誰も来ないのよ!今何してるの!」

「え、ちょっと待て、落ち着けって角塚!誰の一周忌だって?何の話だよ!」

私は通話を切った。
また別の先輩にかけた。

「角塚ー、久しぶりー」

「咲織先輩を覚えてるでしょ!?何してるのよ!」

「は?何だよいきなり!誰だって?」

「ふざけるな!何で、何で、みんな先輩を知らないのよ!いい加減にしてよ!」

また携帯電話を叩きつけると今度こそ間違いなく、携帯電話は破損して動かなくなった。私はその場で崩れ落ちて、慟哭した。

・・・
気づけば私は床に横になって、目の前に散らばっている壊れた携帯電話の破片を見ていた。

「・・・忘れない」

乾いた唇を動かした。

「・・・私、絶対に忘れない」

誓うように、私はそこに咲織先輩がいるように告げる。


「・・・せんぱい、安心してください。私は忘れませんからね。せんぱいとの青春の日々を。あの幸せだった日々を・・・」

それがこの世で最も清く美しい呪いの始まりであった。


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