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SAVE DATA 第三十一話〈創作大賞2023 イラストストーリー部門〉

Chapter31「混声」


「・・・角塚さん、ちゃんと来てたのね」

私が言うと、角塚は振り返らず、「卒業式の日は毎年来てる。一年一緒に過ごしてきた友人達を見納めにしておきたくてね」と言った。

「・・・こんなとこで見ていなくても、体育館に来ればいいのに」

そう言うと、彼女はおもむろに振り向いた。その美しい双眸には涙を溜めている。

「せんせえもしつこいね。原稿を処分してやったのに、放送も切ってやったのに、まだ私に絡んでくるの?」

角塚は涙を拭いながら言った。

「あなたが卒業するまでね」

はんっ、と鼻を鳴らし角塚は再び体育館に向き直した。
私はその横に並び、同じように体育館を見下ろすと、在校生代表が送辞を読み上げている様子が伺えた。名前は覚えてないが、成績優秀な子だったと思う。私が中途半端に式辞を終わらせてしまったが、式は無事に進行しているようだ。

「あの子が私の友達になるのかな」

角塚はケラケラと笑った。
私はそんな様子を見て我慢していられなくなった。

「・・・角塚さん」

私は角塚と向き合った。

「教えて、あなたの本当の想いを」

角塚は私をじっと見た。敵意も、好意も、悪意も何もかもをないまぜにしたような黒い瞳だった。瞳孔が動き、その中に私が反射して浮かんでいた。
角塚は私から視線を切って、背負った鞄の中を漁った。
そして中から、一学期の時に見た拳銃を取り出した。

「・・・まだ持ってたのそれ」

角塚は何も言わずにそれを私の足元に投げ捨てた。

「せんせえにあげる」

「これを?」

「うん。私のこと知りたかったら脅してみれば?」

「バカ言わないで」

私は拳銃を拾った。相変わらず重く冷たくて、鋭い狂気を纏っている。それを前と同じように弾を一つひとつ外して、拳銃とあわせて床に置いた。
角塚は「つまんない」と言って、床に散らばったそれらを拾い上げて鞄にしまう。

「せんせえにはこっちのがお似合いかもね」
そう言って今度はスターターピストルを取り出した。

「ああ、これはいいかもしれないわ」
私は角塚からそれを受け取り、片耳を塞いで頭上に構えた。
パァンッ!と甲高い乾いた音がする。
鼓膜が激しく揺れ、耳鳴りが響く。
その瞬間、色んな光景が脳裏に浮かんだ。10年も前のグラウンドで過ごした青春の日々だ。
横を見ると、角塚がまた目に涙を溜めていた。
彼女もまた私と同じように何かを思い出したのかもしれない。

「・・・私は、せんぱいとの青春を忘れたくないのよ、せんせえ」
やがて彼女は口を開いて告白した。

「あなたは、卒業しても咲織のことを忘れない」

「何を根拠に・・・」

「・・・倉石沙江さんがそうだったから」

角塚はまた私を見た。今度は驚いているらしく、私はその様子を横目で見た。

「彼女、咲織せんぱいのこと覚えてたの?」

「そうよ。咲織のお父さんもお母さんも忘れてたけど、あの子は忘れなかった。あなたと同じよ、角塚さん」

「どうして・・・」

「前に、咲織の将来の夢を聞いたことある?」

角塚は反応しない。それをイエスと私は捉えた。

「あなたと倉石沙江さんだけの共通点よ。記憶にある二人のね」

咲織は倉石の影に囚われながらも、夢を抱いていた。その夢を知っている二人だけが、彼女のことを覚えている。それが超青春にどう作用したのかはわからないが、咲織が持っていた夢――――すなわち未来への願望が、異能の力の抜け道となったのだ。

「そう、なんだ・・・」

角塚はまた涙を流した。嗚咽は漏らさず、ただまっすぐな涙の筋を作った。

「あなたは卒業しても、咲織のことは忘れない。だから安心して卒業して」

角塚の不安の種はなくなる。

それなら卒業できる。

「ーーーー違うよ」

だが、角塚は否定した。
その美しい顔を歪めて、今度こそ彼女は吐き出すように嗚咽を漏らした。

「・・・そんなんじゃダメなんだよ。私は前へ進みたくないのよ」

吐き出したその言葉は何より彼女の心から出てきたものだと分かった。

「角塚さん、あなたを囚えている青春はどんなものであろうと執着し続けるものじゃないわ」

「違う。ここにしかないんだよ青春は。だから執着してでも絶対手放しちゃダメなの」

角塚は濡れた目でキッと私を睨む。

「せんせえの言うことが本当なら、確かにせんぱいを想いながらでも、未来へ生きていくことはできるよ。でも違うよ、そうじゃないの!」

訴えるように彼女は、白い手を振る。

「きっとこの先、せんぱいを想いながらも私は進学して、友達を作って、就職して、そして新しい恋をする・・・」

過去を想いながらも進む。そうだ。それが生きていくということだ。

「でも、先に進めばきっとこの恋は忘れちゃう。そんなのやだ。私はせんぱいにずっと恋していたい。せんぱいと一緒に過ごしたこの青春の中で!」

「――――――私はずっとせんぱいを好きでいたいの!」

ああ、そうか。そういうことか。
彼女の青春の根幹がようやく剥き出しになった。

まっすぐで甘酸っぱい恋愛感情。ーーーそれは何より青春だった。

私は拳を握りしめ、黙った。今すぐ抱きしめて肩を抱いてあげたい。けど駄目だ。私は毅然としていなくてはいけない。なぜなら私は教師だから。狼狽えず、生徒を教え導くのが、私の仕事だ。

「・・・・・・」

・・・けど、意志に反して言葉が出てこない。
彼女に対する言葉が見当たらない。あれだけメモ帳に言葉を書き連ねて用意していたはずなのに。そのどの言葉を選んでも間違っている気がした。悩んで俯くと、ふと手元のスターターピストルが視界に入り、倉石の顔が思い浮かんだ。


・・・・・・あははは!明日崎がまた難しい顔してる!


あの活発な声が頭に響く。
脳裏の倉石はユニフォームを着て、準備運動をしていた。筋肉質の体、日に焼けた肌、短い髪、目鼻立ちがくっきりとした顔。あの頃のままだ。


もう今大事な場面なんだから、茶化さないでよ。こっちは真剣なのよ。


私が言うと、倉石は眉をひそめた。
昔はその表情を皮切りによく言い合いになったものだ。とても懐かしく感じる。


何だよー、そんな顔したまま怒るなって。


うるさいな。勝手に死んでいったくせに今さら出てきて邪魔しないでよ。


はぁ?ひどい言い草だな明日崎。大人になって性格捻じ曲がったんじゃないか。

あんたは学生の時の私しか知らないかもだけどね、大人になったら色々見たくない現実が見えて、心も擦れちゃうもんなのよ。だから私は普通よ。あんたが変わってないだけ。


何それつまんね。明日崎はさ、バカ真面目で要領も悪いくせに努力家で、ユーモアもギャグセンスもないけど面白いやつなんだよ。


・・・・・・そうかもね。


・・・・・・どうしたんだよ急に。そんな潮らしくなって。張り合いがないな。


私のことちゃんとそう言ってくれるのアンタしかいなかったなって思ってさ。

・・・・・・そうなの?

うん。倉石、私はさ、いつもあんたの影を追いかけてたよ。ひょっとしたらまだどこかで生きてるんじゃないか。ひょっこり街角から現れるんじゃないか。そんなことを考えながらしばらく生きてたよ。


・・・・・・。


でもさ、やっぱり現実はそうはいかない。あんたは死んだし、私は取り残されて生きていく。
ずっと。
ずっとこの先も。あんたを想いながら生きていくよ。


・・・・・・。


・・・・・・


・・・・・・なあ、明日崎。もう大丈夫だよ。


・・・・・・何がよ。


・・・私は充分幸せだったよ。陸上して、お前に会えて、一緒に大会にも出て、これ以上にない青春を送ったよ。だけどさ、私はもうお前の未来にはいないからさ。私のことは忘れて、もっと遠くへ進めよ。

・・・・・・嫌よ。

・・・・・・は?

私はあんたのことを忘れない。だってあんたが教えてくれたこともたくさんあるし、私にとっては何より美しい想い出だから。
そんなの忘れるなんて絶対嫌だ。それに――――

・・・・・・それに?何だよ明日崎。

・・・・・・それに・・・。

・・・なんだよ?何か思いついたのか?

私の様子を見て、倉石が笑った。
無邪気な子供がいたずらした時のような純粋な笑みだ。

・・・・・・バカ倉石。

はいはい、私は馬鹿だよ。でも言うべきことはそうじゃないよねぇ明日崎。

・・・・・・うざ。まあ、なに、あんがと。

何がありがとうなのかなぁ?

・・・あの子に向ける言葉をようやく見つけられた。あんたのおかげよ、バカ倉石。

よきにはからえ。我が親友よ。
じゃあ、私はそろそろ戻るよ。角塚ちゃんによろしくな。

うん。

・・・・・・。

またね。

・・・・・・ああ。

・・・・・・。

・・・・・・。

・・・・・・。


・・・・・・こっちこそ、ありがとう。バカ明日崎。


倉石は最後まで笑っていた。

・・・
「・・・過去を想いながら生きていく、か」

私は気付かぬうちに涙を流していた。目の前の角塚と同じくらい頬を濡らしていた。
その涙を拭い、あらためて角塚に向き直る。

「角塚さん、あなたの青春にはひとつ足りないものがあるわ」

角塚は肩で息をしながら「足りない?そんなものあるわけないでしょ!」とさらに鋭い目つきで睨んだ。

私は真っ直ぐとその目を見据える。

「―――――『未来』よ」

は?と彼女が戸惑うのも無理はない。
それは本来青春からかけ離れていくものだからだ。
けど。それは間違っている。
未来こそ、青春を完成させるための最後のピースだ。

「青春は本来そこにいる期間には気付かないものよ。じゃあ、青春は良かったなぁなんていつ思うの?そんなの決まってる、その期間を終えた後の『未来』でしょ」

「だからその時には手遅れなんだよ!私は今、せんぱいを好きでいたい!せんぱいがいたこの学校を思い出になんてしたくない!」

私は息をゆっくりと吐いた。
そして青い空を見上げ、ふと思い出す。

「私もそうだった。倉石が死んだ時、塞ぎ込んで何からも目を逸らして倉石が生きていたあの時を生きようとしていた。けれど、時間は残酷なものでね。やっぱり私の想いや感情は、やがて思い出になっていくの」

卒業した直後、自分は生きていたのかもわからなかった。
ずっとあの時に残っていたいと願っていた。

「けどね、後から気づいたのよ。あの時の思い出が、時が経つにつれ、輝き始めるのよ。私の青春の日々が、美しい思い出として輝き始めるの」

グラウンドの日々、暑い夏、雪が積もった冬、電話の声、全てが懐かしく美しい日々。

「思い出になったって、あなたの恋は終わらない。一生好きでいられる。けど、ずるずると過去に囚われて学校にいたままだったら、想い出は美しくならない。苦しくても、負けそうでも、前に進まなきゃいけないのよ!」

「いやだ・・・いやだよ!咲織せんぱいから離れたくない!もう、お別れは嫌なんだよ!」

「・・・咲織は、倉石のことが好きだったよね」

その言葉は残酷かもしれない。でも角塚だって知ってることだ。

「倉石が私より速い奴が好きだと言ったから、咲織は頑張って頑張って練習してた。あなたも見ていたでしょう?いつか、いつか追いつこうとするあの子の姿を」

美しいフォームで走る咲織の姿。朝焼けでも夕焼けでも、光に照らされた美しいあの姿が、途端に角塚の脳裏に浮かぶ。
初めて見惚れたあの姿を。

「走り出さずに、いつまでもぐるぐるとしているあなたを咲織は好きにならないでしょ?」

「―――――あなたは走り出すべきなの。前へ進んで、角塚さん」

私はスターターピストルをおもむろに空に掲げた。

「スタートはここからよ―――――――進め、角塚!」

パァンッ!と甲高い音が貫いた。

角塚は空を仰いで泣いた。その先にいる恋しい誰かに向かって泣いているみたいだった。

・・・

「・・・角塚さん、走るよ」

その後、私は泣いている角塚の手を優しく掴んだ。
角塚は嗚咽を漏らしながら、戸惑っていた。

「今ならまだ間に合う」

私は角塚の手を引いて、走りはじめた。角塚は、ヨタヨタと泣きながらついてくる。

「どこへ・・・?」

「まだ終わってないのよ」

息を切らして階段を降り、廊下を駆け抜け、自販機とベンチの横を抜け、体育館にたどり着いた。
式はすでに閉じられていて、ちょうど卒業生が退場していく最中だった。
私たちに気づいた卒業生たちは「亜理紗?」「明日崎先生!」と驚き、ざわめいた。

「みんな通して!道を開けて!」

私は卒業生をかき分け、まだ拍手に包まれた体育館に入った。在校生、保護者、教職員全員が異変に気づいて、拍手をやめた。
皆に見られながら、私と角塚は体育館を縦断し、まっすぐ演台を目指した。

ステージに私たちはのぼると、角塚を演台の前に立たせ、私は演台に立った。

「帰ってくると思ってましたよ、明日崎先生」

と言って、雪井さんが急いで証書を持ってきてくれた。
私は泣き腫らした顔で礼をし、あらためて角塚のほうを向く。
マイクはつけない。彼女に伝わればそれでいい。

「卒業証書授与、あなたは長い青春を旅立ち、これから未来を歩んでいきます。その道のりは決して楽ではないかもしれないけれど、あなたの心の中にはいつもこの学舎で過ごした青春の日々が輝いています。これからも、この学舎での日々を思い出し、前へまっすぐ進んでください!卒業おめでとう、角塚亜理紗」

私は角塚に向かって卒業証書を差し出す。
角塚はそのまま立ち尽くし、胸でぎゅっと手を抱いている。

「せんせえ、私卒業していいのかな」

「当たり前じゃない。変なこと聞くのね」

何を言ってるの、とせんせえのぽかんとした顔が面白くて笑ってしまう。

ああ、せんぱい。大好きな咲織せんぱい。

私、せんぱいと一緒に過ごしたこの学校にいれて幸せでした。

でも、今日で離れることになるかもしれません。
寂しいです、苦しいです。

・・・でも、せんぱいがそうだったように、いつまでも、どこまでも、走って好きな人の背中を追いかけ続けます。

だから、せんぱい。

これはお別れじゃありません。

私、いつまでもせんぱいのこと好きでいますから。
だから、いつか会えたらその時はーーーーー。


私は、また涙を流した。

受け取った卒業証書を脇に抱え、深々とお礼をした。
その瞬間、拍手がたくさん起こった。
在校生が、せんせいたちが、保護者が、みんな手を叩いてくれた。

「おめでとう、角塚」

明日崎せんせいが少し泣いてた。
笑顔を浮かべて、なんだか幸せそうに。

変なの。
私もつられて笑った。

せーんぱい。
私、今日卒業しましたよ。




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