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SAVE DATA 第二十五話〈創作大賞2023 イラストストーリー部門〉

Chapter25「凪」


角塚とはあの日以来話していない。

彼女自身が何かをすることもなかったし、私自身が何かすることもなかった。
授業中のやりとりさえ希薄で、私に対して超青春の力を行使することもなかった。

やがて夏が訪れ、学校は夏休みに入ってしばらく経った。
8月15日。今日はお盆だ。
私は地元に帰って、倉石の墓参りにきていた。倉石の墓はそれなりに立派なもので、あの黒く焼けた野蛮児がその中に入っているとは到底思えないほどだった。
私は「久しぶり」と墓の前で告げて、長い金髪を見せつけた。
なんだか目の前で親友が笑ってくれたような気がしてので、私は「アンタのせいだよ」と言って笑った。
そうして墓に花を差し、線香をたてて手を合わせた。ひと通りお参りを済ませた後、墓の前に座り、カバンの中からサンドイッチを取り出して、食べた。

「トマト入りだから倉石にはあげないよ」

暑すぎる日差しを日傘で遮り、蝉の声と葉擦れの音を聞きながら、私はサンドイッチを咀嚼して、やがて人心地ついた時にあらためて墓に向き直った。

「・・・今ね、すごい厄介な問題かかえてんのよ。青春に取り憑かれた生徒がいてね。一生終わらない青春の中で生きていこうとしてるのよ」

冗談じゃないよ?、と私は笑う。

「その子を卒業させたいのよ。青春なんてものから解き放したい。けど、どうすれば納得してくれるかわかんない」

うんうん、と頷く倉石を思い出した。頷きながら聞いてないことがあった倉石なので、ちゃんと聞いてるのかな、と私は心配になった。

「アンタがいてくれたら、きっと良い答え知ってたかもしれないね。咲織の時も、あんなめちゃくちゃなことで解決しようとしたし」

懐かしいことを思い出すと、倉石に会いたくなった。寂しいよ、倉石。アンタがいてくれたら、なんて何回も思った。

「・・・けど」

夏空の下、私は呟く。

「そんな私をアンタは喜ばないよね。わかってるよ、私はアンタの親友なんだから」

それからしばらく物思いに耽った後、帰り支度をした。

「よっし、じゃあね倉石。また遊び来るわ」

そう言って立ち去ろうとすると、不意に背後から声をかけられた。

「明日崎――――

名前を呼ばれ、私は驚いて後ろを振り返った。

――――先生?」

そこにいた女性は。

「あなたは倉石―――」

日傘をしながら、ストリートファッションに身を包んだ見知った女性。

「倉石、沙江さん?」

「あー、やっぱり明日崎先生だ。お久しぶりでーす。え、てかどうしたんすかその金髪!」

去年の卒業生の倉石沙江だった。化粧をして多少垢抜けていたが、面影ははっきりと覚えている。

「久しぶり、元気そうね。この髪はちょっとした出来心よ」

「なんすかそれ。ていうか先生、ここ地元だったんすか?」

「そうよ。ということは倉石さんも地元はここなの?」

「はい、私もここっすよ。え、マジびっくりしました。地元一緒って知ってれば高校の時、地元トークいっぱいできたのに」

「そうね。まあ、こんな田舎じゃ特に話す内容がないかもだけど」

「いやー間違いないすね、それ」

倉石さんは快活に笑い、ふと墓を見た。

「あれ、ここも倉石家だ。先生の知り合いの方すか?」

「あ、ああ。昔の友達なのよ。先生が学生の頃くらいに亡くなったんだけどね」

「そうなんすか。じゃあそれもうちと同じすね」

「倉石さんも友達のお墓なの?」

「いえ、私はお姉ちゃんすよ」

「おねえ・・・」

私はそこで何か繋がりを感じた。

「ねえ、倉石さん。ひょっとしてお姉さんの名前って、咲織?」

「え、そうです!先生お姉ちゃんを知ってるんすか!?」

彼女は興奮気味に聞いてきた。

「驚いた。中学の時の後輩だったもん。知ってるわ」

「うそ・・・」

途端、倉石さんはポロポロと涙を流し始めた。

「ちょっと、どうしたの。倉石さん」

私は急いでハンカチを取り出して、涙を拭おうとするが「大丈夫っす」と彼女は手で制した。

「嬉しくて、つい・・・。すいません、変なこと言うかもしんないですけど、お姉ちゃんのこと覚えてる人がなぜか今までいなくて・・・」

私はその言葉を聞いて、ハッとした。超青春。その呪いのような効能だ。

「いいえ、変なことじゃないわ。良かったら、咲織のこと色々と教えてくれない?中学卒業した後のあの子のこと、あまり知らないの」

「はい、こちらこそ、喜んで。私もいっぱい話したいことあるんすよ」

そうして私たちは墓地近くにある小さな個人経営の喫茶店に来た。レトロな雰囲気で、店内もいろんな時代の雑貨が置かれていて統一感はないが、クーラーが十分効いていて快適な空間だった。頼んだアイスコーヒーを飲んで一息つき、倉石さんは口を開いた。

「お姉ちゃんは私の5つ上で、2度目の高校生3年生の時に亡くなったんすよ」

「2度目?」

「ええ、お姉ちゃんなんだか留年してたみたいで、でもお父さんもお母さんも当時、それに関しては何も言わなかったし、私も中学生であまり詳しくわかってなかったんすけど、どうやら高校3年生を繰り返してたみたいっすよ」

私はその状況を聞いて、すぐに超青春の力だと察した。
倉石沙江さんは続ける。

「それで5月にお姉ちゃんは事故死しちゃって。それはとても悲しいことだったんですけど、その後のことが私にとってとても不気味だったんすよ」

「不気味?」

「はい、死んだお姉ちゃんのことを誰も覚えてなかったんすよ。まるで記憶から倉石咲織って言う人だけ抜け落ちてるような感じ。お父さんやお母さんですらお姉ちゃんを忘れたような感じでしたからねえ」

「ご両親も?」

「ええ、最初はお姉ちゃんの死がショックで現実逃避でもしてるのかなと思いました。でも明らかにそれは間違いでした。両親や他の親族含めて、咲織お姉ちゃんの葬式にも出ていたのに、みんな咲織お姉ちゃんを認識してなかったような素振りを見せたんすよ。誰もお姉ちゃんの名前を呼ばないし、お姉ちゃんの顔を最後に拝むこともしなかった」

そんな葬式を想像してみたが、確かに不気味としか言いようがなかった。誰が亡くなったのかはわからないが、皆喪服に身を包み、偲ぶ気持ちも持ちあわせず合唱するのだろう。
倉石さんは続けた。

「みんな悲しんでたけど、誰に対して悲しんでいたか私にはわからなかった。だから怖くて仕方なかったんすよ。それでその日以降も同じで、家にはお姉ちゃんの遺影はありませんし、お父さんとお母さんが仏壇に手を合わせることもない。葬式の後すぐに、喪に服することもなかったし、お姉ちゃんがいない日常を当たり前のようにスタートさせました。まるでお姉ちゃんがもともといなかったかのように」

「なるほどね。確かに異常な状況ね」

「ええ、お姉ちゃんの友達もおなじなんすよ。誰もお姉ちゃんのことを知らなかった。本当に、私だけだったっすよ。お姉ちゃんのことを覚えているのは」

倉石さんは目に涙を溜めて、口を押さえた。

「辛かったでしょうね」

「いえ、私はいいんすよ。ただお姉ちゃんが可哀想でしかたなかっただけ。でも、明日崎先生は覚えていてくれたのが嬉しくって」

その言葉は心苦しかった。私はその感謝を受けるべきではないし、受ける権利などない。角塚がいなければ私だって咲織のことを忘れていたのだ。

「ひとつ気になることがあるの。どうして倉石さんは、咲織のことを忘れなかったのかしら?」

「それはわからないっすねえ。私はただお姉ちゃんの妹なだけで、特に何かしたわけじゃないのに」

彼女の言う通り、むしろ、おかしいのは咲織を忘れた周囲の人間だ。しかし、彼女だけが普通でいられた。それにこの超青春から抜け出すきっかけを得ることができるかもしれない。

「咲織が高校に上がって変わったことはなかった?」

「変わったこと、ですか?」

「ええ、特に考え方が変わったとかさ」

超青春は意識の問題だ。
考え方が少しでも変わればそれが糸口になるかもしれない。
倉石さんは人差し指で顎を何度か叩いた。

「んー、そうすねえ。あまりそのへんはわかんないすね。お姉ちゃん、図書室で本をよく借りてましたけど、それで何か変わったとは言えないですし」

「そう」

私が肩を落としたのを見たのか、彼女は必死で何かを思い出そうとした。

「あっ、何かを境に変わったといえば、お姉ちゃん中学生の時、好きな人がいたみたいで、どういうきっかけかわからないけど、その人のために部活頑張ってるって聞きました」

それは私もある意味当事者として知っていた。咲織を連れ出して、無理やり走らせたあの日のことだろう。

「それから記録を出すためになんか必死で部活をしてた気がします。成績は下がったから、お父さんとよく揉めてたけど」

「咲織は真面目な子だったからね。何だか懐かしいなぁ」

「ええ、ほんと一心不乱に部活してました。あ、それで思い出した。お姉ちゃん、高三の総体前に骨折したんすよ」

「・・・骨折?じゃあ、総体は?」

「もちろん、出てないっすよ。しばらく塞ぎ込んでたのを覚えてます。部屋からも出てこないし、学校も休んで、家中なんだかジメジメしてたっすね」

「なるほどね」

倉石の言葉。総体の欠場。まだ咲織が倉石のことを想っていたなら、結果を残せず引退は出来ない。しかし当時、倉石は既に亡くなっていたはず。なのに操をたてるかのように倉石を想い続けて、高校生活をやり直した咲織の気持ちは計り知れない。

「本当に好きだったんだなぁ」

「え?何がっすか?」

「あ、いや、ごめん。こっちの話。ちなみに、その怪我した後、咲織と話して変わったことはなかった?」

「んー怪我した後はしばらく部屋から出てこなかったんでわかんないすけど、そうだ、ある日突然性格が明るくなりました」

「性格が、明るく・・・か」

「それからっすかね、お姉ちゃんと話したのは」

恐らく話の一つ一つを拾っていっても埒が空かないだろう。私はようやく核心に迫るようにした。

「倉石さん、咲織と話している中で、後輩の話をしたことなかった?」

「後輩、ですか?」

んー、と倉石さんは頭を抱えて悩む。私はその間、アイスコーヒーのおかわりを二人分頼んで、倉石さんの邪魔にならないように化粧室へ行った。
帰ってきたら倉石さんが、早く早くと急かすような目をして、私を待っていた。私が着座する前に倉石さんは「ひとつあったっす!」と言った。

「一体どんな内容?」

私は既に置かれていたアイスコーヒーを一口飲んで、答えを待った。

「多分冬くらいだったと思うんすけど、お姉ちゃんが私に報告するように言ったんすよ。『私、教師になりたいって夢、同じ部活の後輩に言っちゃった』って」

「教師の夢?咲織は教師になりたかったの?」

「ええ、私がそれを聞いたのは高校生になってからっすね。お姉ちゃん、恥ずかしくて私にしか言ってなかった秘密だったみたいですけど、その時、その部活の後輩に言ったってわざわざ報告してくれたんすよ」

つまり。

「それは、あなたと、その部活の後輩しか知らない、ということね」

「はい、お母さんたちにも言ってなかったと思います」

ようやく見つけた倉石さんと角塚の共通点。咲織の言う後輩が角塚だという確信はないが、咲織と角塚の間柄なら可能性は高い。
倉石さんと角塚だけが共通していて、他の人は知らない秘密。それは青春を終えた先にある未来への希望の話だった。

「皮肉なものね」

私がつぶやくと、倉石さんは不思議そうな顔をしていた。

「ありがとう、倉石さん。色々教えてくれて」

「いえいえ、何だか私が一方的に話しちゃったすね」

「いえ、そんなことないわ。実は私、今とある生徒のことで悩んでるの。咲織の話を聞いて、少し何とかなりそうな気がしてきたわ」

「え?今の話で、ですか?」

どこが役に立つのか検討がつかないという風に倉石さんは首を傾げる。

「その子は何を悩んでいるんすか?」

「そうね、まあ端的にいうなら」

私はんーと唸って言う。

「青春に囚われすぎて卒業出来ずにいるのよ」

「そんな子がいるんすか」

あなたの元クラスメイトよ、と言っても彼女はわかってくれないだろう。

「本当に困ってるのよ。私の言うことも全然聞いてくれないし」

「なるほど、でもその子の気持ち、ちょっとわかるかもなあ」

「どういうこと?」

「だって明日崎先生に言うのも、申し訳ないけど先生が思うほど私たち生徒って、先生の言葉覚えてないし、間に受けないです。むしろ、鬱陶しいくらいに思ってるかも」

「それはひどい話ねぇ」

私たちは笑い合った。

「じゃあ、教師として私はどうしていけばいいのかな」

「んー、でも先生、私たちしょうもないこととかどうでもいいことは覚えてるんすよ。例えば、去年の9月の授業で先生にifって答えたこととか」

「え、そんなことあったっけ?」

「ありましたよ。これじゃ先生も人のこと言えないなぁ」

「あー!ちょっと待って。今思い出した」

角塚と初めて接触したあの日じゃないか。
そんなこともすっかり忘れていたとは。

「そんなもんなんすよ先生。先生も生徒もあんまり変わんないと思うなぁ」

「んーなるほど。でもそうなると余計に言葉で説得するのは難しいのかしら」

「いや、そうでもないんじゃないすか。全く覚えていないわけじゃないですし、それに熱がこもった言葉は印象深く覚えてますし。都合の良いとこだけ切り取って解釈もしますし」

かつて倉石が目指していた教師を思い出した。たしかあいつは教え子が次の世代に同じことを教えてるのが理想だとか言っていた。今思い出してもエゴ増し増しな話だが、捉えようによっては言葉の力をあいつは信じていた。

「確かにそうね」

前へ。前へ進め明日崎。
今思い返してもあいつの言葉と姿を思い浮かべることができる。
私の青春だ。

その後は、くだらないけど、心地いい会話をしばらくして私たちは店を出た。
陽は相変わらず煌々と世界を照らしていた。

「じゃ、今日はありがとう倉石さん。色々聞けて楽しかったわ」

「こちらこそっす、先生。お姉ちゃんの墓参りもまた来てくださいね」

「もちろんよ」

「そういえば聴き忘れてたんすけど、その青春に囚われた子の名前って何て言うんすか?」

「角塚亜理紗よ」

あなたの元クラスメイトの、とは言わなかった。

「へぇ、可愛らしい名前っすね」

「美人な子なのよ。いつか会わせてあげるわ」

「おー是非とも。その子が卒業したらっすね」

じゃあ、と言って私たちは別れた。
蝉の声が喧しい盆の暮れ。
私は夏が好きだが、しかし、今は一刻も早く夏休みが終わって、学校が始まってほしかった。
角塚にあって沢山話をしたかった。
その思いが胸に込み上げてきたのだ。

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