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バラマキはなぜ悪なのか

先日来報道されている「18歳以下の子どもを対象とした一律10万円の給付」について、年内にも支給が開始される方針だという新たな報道がありました。

「幼保無償化について思うこと」でも述べましたが、少なくとも私個人は、そして少なからぬ方々もそうであると理解していますが、「問題が複雑で、実行するのに時間も労力も資金も要することを丁寧に紐解いて、制度や法律を制定してトップダウンで変えていく」ことを政治や行政に望んでいるのであって、お金をバラまいて欲しいわけではありません。

そもそも「バラマキ」とは何か

最新版である第7版の広辞苑に「バラマキ」という用語は掲載されていませんが、ネットで検索をすると

「主に政府による、歳入を無視した福祉制度の拡張などを意味する語。国の将来よりも現在の与党の支持率を重視しているとして、批判の対象とされる際にこの言葉が使われることが多い」(weblio辞書)

とあります。

歳入を上回る額の歳出を続けていたら、いくら借金が出来るとはいえ、そしてGoing consern (*)ベースで考えているとはいえ、歳入>歳出となる努力をしなければ「やばい」というのは小学生でも分かる話で、「歳入を無視」した運営が批判されるのは当然の話ではあります。

(*)企業などが将来に渡って事業を継続していくという前提。

一方で「歳入を無視」してでも進めなければいけない歳出も確かに存在していて、それこそコロナ禍における「特別定額給付金」などは一刻も早く実現するべきだったし、寧ろ諸外国対比遅かったのではということが問題にもなりました。

前掲のネット検索での定義に拠るならば、全ての「歳入を無視した」支出が悪だとは思わないけれど、「ばら撒く」という語が意味する「『見境なく』分け与える」ということがなされているのだとしたら、それは「悪」だろうと思います。

誰にとって費用対効果の高い政策なのか

限られた予算・時間・人手を、出来るだけ効果的・効率的に利用したいというのは皆共通の思いだと思いますが、「誰にとって」という視点は重要です。

「国の将来よりも現在の与党の支持率を重視している」という前掲の定義に全てが集約されていますが、「18歳以下の子どもに対する一律10万円の給付」が、「社会の資産である子どもを守り、日本や世界の未来のために力強く育てていく」という視点で考えた時に、「国民にとって」本当にベストな選択肢なのかは甚だ疑問です。

他にやるべきこと

今回のケースで考えるなら、「社会の資産である子どもを守り、日本や世界の未来のために力強く育てていく」という目的があったとして、そのために取り得る「国民のための」より良いアプローチは、10万円のバラマキ以外にいくらでもあると思います。

もし、子どもを「守る」ことにフォーカスするなら、孤児や生活に困窮している家庭の児童を支援しているNPOなりボランティア団体なり、実情を良く理解していて、具体的に活動をして成果を上げている団体に資金を託すということも一つのやり方です。

けれど、どうやって公平性を担保するのか?全ての組織に隈なく配布することはできるのか?配分率はどうするのか?効果はどうやってモニタリングするのか?それに乗じて活動もしていないのに申請をしてくる団体もあるかもしれない。どうやって「具体的に成果を上げている」団体とそうでない団体を判別するのか?さらには、その他の分野のNPOやボランティア団体から「支援すべきは子どもだけではない、うちも支援してくれ!」と突き上げが強くなるかもしれない。課題はたくさんあるでしょう。

もし、子どもを「力強く育てる」ことにフォーカスするなら、これからの未来を生きる子どもたちのためにも「学校教育のデジタル化」は早急に取り組むべき課題の一つだと思います。

96%の自治体で端末整備が完了(公立小中学校)(**)したようですが、ただでさえ日々の業務負担が大きいとされる教師陣のITスキル底上げをどう図っていくのか?学校や各家庭でのWi-fi環境整備は間に合っているのか?こちらも課題はたくさんありそうです。

(**)https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20210907-00256852

結局様々なことを踏まえると、「極力敵を作らずに、かつ極力労力を掛けずに、幅広い有権者に対して『子ども・未来』志向であることを印象付け、より多くの人に喜んでもらえる」のは、つまり「政治家からして一番費用対効果の高い」選択は「一律配布の現金給付」だ、という結論に至ったのだろうなと邪推します。それが「真に」「国民にとって」必要なことであるかどうかは別として。

志高く、日本の未来のために魂を込めて日々仕事に打ち込んで下さっている政治家の方も大勢いると思いますが、「選ばれなければ次はない」という政治のゲーム性に負けて易きに流れることのないよう、寧ろ「易きに流れたら次はない」という状況を私たち有権者が作り出して行かなければいけないと強く思います。

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