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まあいいか (超乱文)

アメリカに引越してきてから5ヶ月が過ぎました。

昨年の今頃はまだオランダに住んでいて、記録的猛暑と言われていたけど、
今年はさらに記録を更新して、ついに39℃を超えたとか....

オランダは冷房が無い家が多いはずだけれど、大丈夫かなぁ、みんな、、、心配です。

ちなみに、今アメリカで住んでいるアパートは、冷房が建物で一括管理されていて、個人ではコントロールが効きません。

しかもこれがまた不安定な冷房で、

寒風が吹き荒れて、極寒になる時もあれば、外気が暑すぎて効きが悪くなってしまう時もあります。

そして、どうやら管理人のおばあちゃんの友達の下の階に住むおばあちゃんは一括管理の操作法を知ってるらしく、そのおばあちゃんの采配で
冷房がオンになったり、オフになったりしているっぽい...!!

とはいえ、命に関わるレベルの不自由さでは無いし、まあいいかと思って暮らしています。

“まあいいか。”と思うのが得意になったのは、日本の外での生活を通して得てきたことの中でも大変貴重だと最近つくづく思います。

特にあらゆることが特有の緩さによって上手く進まないオランダでは、”まあいいか”と思うことは自己防衛本能の一種。

“自分がどんなに頑張ったり、無理したり、気を揉んだりしても、どうにもならないこともあるんだな。カリカリしても無駄だ。” と冷静になってからは、ゆる〜いオランダスタイルに不安やストレスを感じなくなったのです。

しかし、”まあいいか” は甘えに使ってはいけなくて、

自分の意思や努力が反映されるもの、反映される可能性のあるものは、とことん追求したり、エネルギーを費やすことを学びました。

そしてこの学びは今のアメリカでの生活でも大変役立っています。

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母国以外での生活では、驚くことや、不自由さは付き物です(それが楽しかったりするんだけど)。

ただ、どんな国だって超万能ではなく、それぞれに豊かさや不自由さを持っているのだと思います。

ちなみに、夫にとってアメリカは母国ですが、思うように事が進まない時、私は “まあアメリカだしこんなもんか”と思っていても、夫の方がイライラしていたりします笑

そんな時は “オランダでの不自由さ/不便さに比べたら取るに足らないことでしょ。” と伝えているのですが、夫としては

“ここはアメリカなんだから、ヨーロッパよりもっとしっかりしてもらわないと困る!” のだそうです。笑

そんなこんなで、私は知らぬ間にすっかりオランダの緩さに感染していたようだ。ということを自覚してきた昨今…

前回の日本滞在中に、なにかを猛烈にしんどく感じていたんだけど、その正体が分からずに全く言語化できていなかったことがようやく、少し見えてきた気がするのです。
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日本のニュースをネットでチェックしたり、その反応がソーシャルメディアに流れてきたりしているのを見ると共通して感じてしまうのは余裕のなさと、そこから生まれるであろう不寛容さ...って決して攻めてる訳ではなく、

痛ましい事件や、腹立たしいニュースが、きっとテレビでもネットでも繰り返されていて、目に触れてしまうだけでも怒りを覚えたり、傷ついたり、イライラしたり、不安になってしまうのは当然のことで、仕方ないし、感情のぶつけどころがなくてネット上に流れてくることもやむを得ないだろうし、裁かれるべき人は法のもとに裁かれるべきだと思います。

ただ、正義感や使命感の暴走は、いつか自分の首も締めることになるのではないか?否、既に締めてしまってるのでは??ということです。

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“死ぬなら一人で死ね”とか“死ぬなら他人に迷惑かけるな”、とか、そんな風に言ってしまう気持ちも分かります。
恐らくこれは凶悪犯に対してだけでなく、日常的な思考もそういう傾向にあるのではないでしょうか。

例えば私も日本に住んで働いている時は、人身事故で電車が遅延したり、止まったりする度に、そんな風に思っていました。

でも、今では全く考えが変わりました。

前回の一時帰国中に、滞在先の最寄駅で人身事故があって、踏切や駅に溢れかえる人達の舌打ちしたり、迷惑を被ったことへの苛立ちに溢れる光景は異常なことだと気がついたのです。

自ら命を絶つことを選んでしまう人が後を絶たないのはのはなぜでしょう?
迷惑を被ったとはいえ、人の死を悼む気持ちが生まれず、苛立ちが勝るような世の中であるからではないでしょうか?

たとえ苛立たなかったとしても、人身事故の日常化で、”あ、またか” としか思わなくなっているとしても、それも立派な社会問題ですよね。

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凶悪犯と言われる人達にしたって、ある日突然この世に現れるわけではありません。
彼らもまた生まれた瞬間からこの社会の中で生きてきたのです。

何でもかんでも社会のせいではありません。

ただ、社会=私たち一人一人の日々の思想や言動

を見直す時が来ているは明白であると感じます。

その第一歩として、

“まず周りの人に優しくすること”とか言うのは簡単ですが、

実際には、まず

“自分に優しくすること” が一番大事。

自分に余裕が無くては、人に対する寛容さなど生まれるはずがないのです。

ヨーロッパの人々は自分に優しくするのが本当に上手い。初めはただの自分勝手だと思っていたけれど、自分に優しくすることで、彼らは超余裕で人にも優しいできるのです。

私の目には、日本人は自分を不健康に追い込んでいる人が多く、我慢なり、自己犠牲が美徳とされていることで、苦しみや不自由さを溜め込んでしまってるように見えます。

まずはもっと自分に優しくして、自分を大事にして、心身の余裕を蓄えていきませんか??

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と、住んでいない母国に対して、なんだか偉そうなことを言ってしまっていますが、

離れてみて見えてきたことがいっぱいあるのです。

そして”日本” という国の文化や空気が自分にどんな影響を与えているのか。を自覚していること、していないこと含めて考察することは、作曲や日々の自分のにも深く影響しています。

これに関してはまたそのうち!

おまけ:
最近なんとなく食事のカロリーや栄養もざっくり計算してみるようになりました。
野菜いっぱい食べてるつもりだけど全然足りないらしい。
とりあえず美味しく楽しく食べれば、まあいいか。

#アメリカ生活 #オランダ生活 #振り返り #ちょっと
#深呼吸 #徒然 #散歩の風景 #作曲家の暮らし


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