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プライドを守るって、実はだれも守れない。

ときどき僕は、自分自身でプレッシャーをかけていることが多いです。

例えば、テレビ番組で中学レベルのクイズが出て、出演者は当然かのような顔をして答えているのに、自分はその答えが分からなかったとき、自分自身でプレッシャーをかける性格の僕は、立派に落ち込みます。

出演者が答えているのを見て、「はぁー。このレベルも答えられないって、本当に俺はバカだな」とすぐに考えてしまいます。

このように僕は、自分が上手くできないものを見つけては、自分の無能さを責めてしまう癖があります。

他にも、自分が上手く喋れなかったとき、計画通りに物事が進まなかったとき、運動能力が下がっていると実感したときなど…。

その度に、「日々の努力が足りない!」「老化がすぐそこまで来ている!」「こんなんじゃ、ダメだ!」と思い、自分なりの努力をはじめ、何とか無能な自分を隠そうとします。

それ自体、今までは何も悪いことではないと思っていたのですが、最近、ある疑問が思い浮かびました。

ちょっと待て。自分への要求が高すぎないか?

中学を卒業してから10年も経とうとしているのに、勉強の知識を忘れていないはずないですし、別に中学校の先生をしているわけでもないので、何の問題もありません。

それなのに、知識も欲しい、コミュニケーション能力も欲しい、段取りの良い生活も欲しい、運動神経も欲しい…。

その全てを手に入れようともがくと、24時間365日働かないといけない気がして、生きるのが面倒になります。

そもそも、それらのスキルを手に入れたら、自分は何になりたいのだろうか。

どうしてそんなに、いろんな能力を手に入れたいと思うのだろうか。

僕が自分にプレッシャーをかけてしまう理由は、「自分は人並み以上」だと思いたいからです。

別に、全人類が勉強ができなければ、勉強の知識が欲しいと思わないでしょうし、全人類がコミュニケーションが苦手なら、コミュニケーション力に興味はないでしょう。

つまり、自分のプライドを守りたいのです。

自分がバカに見られたくない、自分が話が下手なヤツと思われたくないなど、見下される恐怖から脱出したいという気持ちが生まれるのです。

しかし、自分のプライドを守るための努力は、驚くほどに楽しくありませんし、毎日自分にプレッシャーをかけ続けます。

そんなことをするぐらいなら、今の自分を認めてあげることをした方が、自分にとってプラスになります。

別に、誰にどう見られようが、あまり重大なことではありません。

最もいけないのは、人並みじゃない自分を見下すことです。

人並みにできない自分を責めていたら、当然ながら、人並みにできない他人も責めます。

こうなってしまうと、他人の良いところを探すよりも、人並みにできないところを探すことが得意になるだけです。

自分も苦しめつつ、他人を苦しめていては、絶対に人生が楽しくありませんし、たとえば見下されても、人の存在価値は変わりません。

自分にある時間、体力、資金は限られているので、自分が欲しいものに使う方が、絶対に賢い生き方です。

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