こだわりとは、人のためにやるもの。
こだわりには、一見自分のわがままで生まれているように思えます。確かに、自己中心的な欲を満たすためのこだわりもありますが、そうではないものもあると思います。
僕のこだわりの一つに、「仲間外れにしない」というものがあります。
小さいときから、なんとなくの疎外感を感じて生きることが多かったため、ちょっとしたことでも、相手を仲間外れにしないように気を付けます。
話すときは、聞き手の人に「言っていることがわからない」と思われないよう、なるべく説明を加えます。
逆にそれが、回りくどく感じる人もいるので、この伝え方は良いことばかりではありませんが、自分が聞き手だったら、馴染みのない言葉を当然かのように話されるのが大嫌いなので、やめられません。
もちろん、嫌いな理由は「仲間外れにしてしまう」という感覚があるからです。
「分からない方がバカだ」、「知らないのはどうかしている」というニュアンスを相手が受け取ってしまうと、相手の中に劣等感が湧いてきて、話を聞くどころの問題じゃなくなってきます。
しっかりと伝えたいからこそ、相手が何も知らないことを前提に話すことが大事なんです。
「そのぐらい、知ってるわ!」と言われても、落ち込む必要はありません。
そのぐらい知っていることを、こっちは知りませんから(笑)。
その他にも、何かの集まりを催した時に、その場に参加できなかったメンバーのことも、必ず話題に出すようにしています。
そこに来てほしかった人、行きたかったけど行けなかった人の話もすることで、他の人が「あぁー、アイツもいてほしかったなー」、「アイツ、面白かったなー」と、思い出すことができます。
思い出させることに成功すれば、「次は、アイツも呼ぼう!」「アイツ、今どうしてるのかな?」と考える人も出てくるので、その人が実際にいないとしても、他の人の頭の中には存在していることになります。
こうして伝えていかないと、人は簡単に誰かの存在を忘れていきます。忘れていくと、だんだんと溝が深くなり、忘れられた人は仲間外れ感覚を味わいます。
どんなに悪気はなくても、それは仕方のないことなので、自分の努力で忘れさせないようにするしかないのです。
僕は、誰よりもこんなことを続けてきた自信があります。
最初は、自分が仲間外れにされたコンプレックスを、少しでも味わいたくないからしていると思っていましたが、大人になった今、僕は誰かに忘れられ続けています。
久々に会った同級生に名前を覚えてもらってなかったり、エピソードを忘れられていることは、しょっちゅうあります。
地元で固まって生きている人が多いので、そこで絆を深められていると、仲間外れになったような感覚を味わいます。
つまり、仲間外れ感覚は、永遠に味わう運命なのです(笑)。
ただ、どんなに仲間外れから逃れられないとしても、僕は仲間外れ感覚を相手に与えないようにこだわり続けています。
ここまでくると、もう相手のためでしかありません。
こだわりの最後の最後は、自分のためではないのです。
「仲間外れをしないようにする」以外にも、これから僕のこだわりは増えていくと思うので、いずれ、こだわりだらけでパンパンになることでしょう。
だからこそ、自分のわがままのためのこだわりは、さっさと捨てていきたいと思います(笑)。
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