誰にとっても、理不尽は王様じゃない。
昨夜、こんなことがありました。
水泳の授業の前の10分の休み時間で、水着を忘れていたことに気づいた僕は、他のクラスの友達に、「ごめん、気持ち悪いと思うんだけど、水着貸してくれない?」と言いながら、走り回っていました。
ようやく貸してくれた水着を手に持って、ダッシュでプールまで向かいます。体育教師は、容赦なく評価を下げてくるタイプの人なので、1秒でも早くプールに着くように急ぎます。
なんとか、更衣室にたどり着いた僕は、急いで使用済みの濡れた水着に着替えます。なんと、そこで帽子がないことに気がつきます。ヤバいと焦るも、チャイムが鳴りだしたので、そのまま走り出します。
チャイムが鳴り終わったぐらいのタイミングで、ギリギリ駆け込み、僕は息を上げながら「起立、気をつけ、礼」に従います。
すると先生は、こう言いました。
「今日の体育は、女子と一緒に踊りまーす!」
僕は、大きな声で言います。
「なんだよそれ!」
それを聞いたみんなは、笑っていました。
僕は、水泳の授業が好きじゃないし、忘れ物もしているので、願ったりかなったりの状況なのですが、だったら、こんなに焦りたくなかったし、友達のびちゃびちゃの水着を着たくなかった。しかも、「踊る」って何?
そう思ったタイミングで、目が覚めました。もちろん、夢でした(笑)。
目が覚めて夢だと分かった瞬間、ホッとするのかと思いきや、僕が抱く感情は別のものでした。
「あぁ、終わったんだな…」と、なぜか寂しい感情が生まれました。
誰かと一緒に理不尽に振り回される日常や、自分のミスをカバーするために誰かに迷惑をかける日々、理不尽な人に面と向かって文句を言う毎日から、僕は卒業したんだなと気がつきました。
いつしか、理不尽を爽やかに話せる楽しい時間は、なくなっていきました。
大人になると、理不尽は王様になっていきます。
王様には歯向かわないのがカッコイイ風潮もあるし、王様に隠れて人を助けるのも勇気とエネルギーが必要ですし、王様に向かって文句を言っても一緒に笑う人はいません。
僕が理不尽様に笑みを浮かべても、「無理しないでね」「大変だね」と心配されるだけで、理不尽様の可笑しさを共有するのは難しくなりました。
きっと理不尽様に完璧な対処をするのが、カッコイイ大人なのでしょう。なんだったら、理不尽側に回る人だっています。
でも、大人になる前に、「理不尽の肩を持たなきゃいけない」と習った覚えはありません。
文句を言っても良いでしょうし、辞めても良いでしょうし、理不尽の中でもがいたって良いはずです。
そもそも理不尽がまかり通っている世界に生まれたのですから、もっと爽やかに捉えて、バカにしても、笑っても、歯向かってもいい気がします。
少なくとも、僕は理不尽の肩を持つようなことはしたくないので、これからも理不尽を爽やかに捉えていくでしょう。
楽しいときと楽しくないときの差は、理不尽を明るく話せているかどうかの差です。
理不尽を王様にするということは、毎日を楽しくなくするということです。
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