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「正しさ」だけを、生きがいにすることはできない。

僕は最近、「自分」と「仕事」の関係性に違和感を感じていました。

作家の仕事を始めたばかりの時は、先輩から要求されるキツい命題に応えることに面白みを感じていました。

何かしらの仕事を頼まれた時は、「これは、自分がウケを狙えるチャンスだ!」と捉えていて、自分なりに全力を尽くしてきました。

しかしながら、特に今年に入ってからは、そんな気持ちを抱くことはなくなっていきました。

情熱がなくなったのか、能力の限界がきたのか、転換期に入っているのか、自分では分かりませんでしたが、この仕事を始めた最初の頃の気持ちを思い出してみると、答えが見えてきました。

僕が仕事を楽しめなくなった理由は、「正確性ばかりを自分の仕事に求めていた」からです。

このご時世ということもあって、一つ一つの仕事は、自分にとって貴重な生命線になっていきました。

今の仕事を失わないために、先方が求めることに正確に応えていくことだけが、自分にとって大事なことになっていきました。

ただ、そう考えてしまうと、全てのことに対して臆病になっていくのが、人間というものです。

僕は、「全ての仕事を正確にやり遂げなければいけない」というプレッシャーに襲われて、正直、仕事に向き合うことが嫌になっていました。

だから、どんな仕事でも、ウケを狙うというよりも、失敗しないように頑張っていました。

そうなると、人からの評価が怖くなります。

ウケ狙いの意識でやっているときも酷評された時は怖かったですが、それでも「感覚が合わなかったんだな…」ぐらいに思えて、落ち込みすぎることはありませんでした。逆に、高評価をもらえた時は有頂天になるほど嬉しく、その時の感情は今でも覚えています。

しかし、正確性を重視しすぎると、高評価をもらえた時はホッとするだけで、酷評された時は、「そっちに合わせたのに、なんでこんなこと言われなきゃいけねーんだよ!」と報われない気持ちでいっぱいになっていました。しまいには、「自分は仕事ができないな…」と落ち込みました。

どんな仕事でも、ある程度の正確性は必要です。

ただ、それが100%になってしまうと、ダメになってしまう人もいるのです。

特に僕は、「仕事ができる人」になるために、沖縄から上京してきたのではなく、「面白いモノを創り出す人」になるために、ここまで来たんです。

仕事には、正確さ以外の面白さがあるから、「やりがい」が生まれたり、「満足感」が芽生えてきます。

人は、弱くなったとき、「正しさ」にすがろうとします。でも、それと引き換えに「退屈さ」を手に入れます。

もし、人生に行き詰まりを感じているのなら、あなたは、正しすぎるのかもしれません。

僕はこれから、「正確さ」より、「面白さ」を伝える文章を書いていくことを誓います。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!