褒められて嬉しいのは、本気が伝わったから。
人から褒められたとき、僕の反応は二通りに分かれます。
それは、「嬉しい!」と「良かった」の2つです。
この反応は、決して相手の褒め言葉によって変わるのではなく、僕の努力量によって変わるものではありません。
見返りを求めるか求めないかによって、大きく変わっていきます。
自分が頑張ったと思うものほど、他人からの評価が欲しくなり、褒められると「(頑張って)良かった」という気持ちになります。
しかし、僕が頑張っているものの中には、見返りを求めないものもあります。
例えば、このnoteは、誰かの期待に応えるためにやっているものではありません。
いつ辞めても怒られないし、自分が読みたいと思う記事しか書かないつもりでやっているので、頑張っているという感覚がありません。
ただただ、楽しく文章を書いているだけなので、あまり褒められたいという気持ちもありません。
しかし、noteを褒められると、僕は「どの記事が良かった?」「あの記事も良かっただろ?」と、嬉しくなって話を続けたくなります。
見返りを求めないものの方が、褒められて嬉しいのです。
ではなぜ、見返りを求めるものは、褒められても「良かった」程度でとどまってしまうのか。
それは、頑張っているけど、本気じゃないからです。
体は動いていても、心の奥のどこかで、本気になれていない自分がいるのです。
「良いものをつくること」よりも、「誰かに認められたい」や「誰にも怒られたくない」という気持ちが強くなってしまったり、心の奥底では「面白くない」と思っていたりすると、どうしても本気になれません。
もちろん、「本気じゃないから頑張らない」というのは、プロとして失格なので、できる限りは周りの人の考えに寄り添うし、自分が協力できることはします。
しかし、見返りを求めず、全身全霊でぶつかれるものは、気持ちがぶれることはありません。
「この面白さを伝えたい」という思いを具現化することに労力がかかっても、本気になっていると夢中になれます。
本気とは、1つの思いを貫き続けられることです。
褒められて嬉しいのは、本気の思いが伝わったからです。
逆に言えば、本気じゃない場合は、伝えたいことがありません。
見返りが欲しいので、褒め言葉なんかよりも報酬をたくさんもらった方が嬉しく思います。
100%の本気が難しくても、多少なりとも伝えたい思いを持っていないと、頑張り続けるのは苦しいでしょう。
褒めるコミュニケーションは、まずは本気になることから始まるのかもしれません。
面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!