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負の感情には、どれも自己嫌悪が含まれている。

怒りを抱いたり、落ち込んだりしたとき、ときどき不思議に思うことがあります。

なぜ、こんなに嫌な感情を繰り返してしまうのだろうか。

そんなときに僕は、何かしらの嫌な出来事が起きているから、マイナスの感情を抱いていると思っていました。

しかし、よく考えてみると、それはちょっと違うかもしれません。

僕がバイト漬けの日々を送っていた10代後半~20代前半の頃、僕は負の感情を抱く機会が何度もありました。

「声が小さい」「仕事が間違っている」「場所を間違えている」「仕事が遅い」「不器用だ」など、先輩に怒られまくりでした。

さらには、自分が他の人のわがままな仕事ぶりにイライラすることもありましたし、言葉遣いに腹を立てることもよくありました。

そういった出来事が起きるたびに、落ち込んだり、怒っても良いはずです。

しかし、どういうわけか、負の感情を抱くときと、負の感情を抱かないときが、それぞれありました。

なぜ、同じような出来事が起きても、捉え方に差が出るのか。

それは、自己嫌悪に差があるからです。

例えば、「お前、仕事遅いんだよ!」と言われた時、自分を責めるかどうかで、自分の感情は大きく変わります。

自己嫌悪に陥ったら、「あぁー。他の人はできているのに、自分はできないなぁー」と落ち込んでしまいます。

自己嫌悪に陥らなかったら、「自分が仕事遅い」という情報を、ただ受け取るだけです。

これは、怒りを感じた時も同じです。

例えば、自分のことをバカにされた時、その後の自己嫌悪具合で、怒りの強さは大きく変わっていきます。

怒ってしまう人は、バカにされた自分の情けなさにも腹が立って、悔しさを感じるから、どこまでも怒りを膨らませることができます。

しかし、怒らない人は、相手が自分をバカにしているという情報以外に、何も読み取ろうとしません。

つまり、「嫌な出来事」×「自己嫌悪」=「負の感情の大きさ」という式になります。

「嫌な出来事」が起きた際に、自分を責める要素を見い出そうとすればするほど、負の感情は大きくなっていき、自分の心もむしばんでいきます。

逆に言えば、「嫌な出来事」が起きても「自己嫌悪」を0にすれば、負の感情は湧きあがりません。

「まぁ、これだけやってるしな!」「この状況でやれることはやった!」「次はこうしてみよう!」と考えるだけで、自己嫌悪を0にはできなくても、数字を下げることはできます。

負の感情を小さくしたいなら、「誰に何を言われても、自分を責めない」と心に決める必要があります。

そして、負の感情を何度も経験したからといって、物事が劇的に上手くなるわけでもありません。むしろ、余計に挑戦が怖く感じたり、怒りが邪魔になって集中力が下がるだけです。

自分ができる努力の第一歩は、「誰に何を言われても、自分を責めない」と覚悟することかもしれません。

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