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「願望」が「義務」に変わっていく瞬間。

「自分のしたいことはなんだろう?」

そういった願望がときどき、見えなくなる人がいます。

僕もその中の一人で、大きなやりたいことは明確にあっても、小さいことは「やりたい」「やりたくない」で考えることは、ほぼありません。

例えば、毎日食べたいものを食べませんし、毎日寝たくもない時間に寝ていますし、面倒な手続きが嫌いなのに自らやっています。

こうした毎日を送る人は、今更「自分の心の声」と聞こうとしても、何も聞こえてこないことがあります。

もちろん、元からそういうわけではありません。

子どもの時は、わがままに「これが好き!」「あれが嫌い!」と言えています。しかし、大人になるにつれ、自分の願望を抑えた方が良いことがあると知ります。

そのうち、「~やりたい」という感情は、「~した方が良い」という損得勘定になっていきます。

僕の場合、小さい頃は野菜が嫌いで、「チーズ料理」や「魚料理」ばかりを選んで食べていましたが、小学生の高学年ぐらいから「野菜を食べた方が健康に良い」というメリットに気がついて、だんだん食べるようになっていきます。

子どもの時と同じように自分の感情100%ではなく、自分の損得勘定が絡んで、自分の感情0%、自分の損得勘定100%になります。

そこまでは、全然いいんです。

もっと大人になっていくと、野菜が好きな人とご飯を食べることになり、野菜がたくさん入ったメニューを注文するようになりました。僕は相手が喜べばいいと思って、野菜がたくさん入ったメニューでも食べます。そのうち、この人といると、「野菜を食べなければならない」と思うようになります。

自分の損得勘定も通り越して、相手を優先するようになっていき、自分の損得勘定は0%、相手の都合が100%になっていきます。

今度は、「~した方が良い」という損得勘定から、「~しなければならない」という義務に変わっていきます。

それで相手が喜ぶならそれで良いし、自分の気持ちなんてどうでも良くなります。

その代わり、「自分の願望」はどこかに消えて、見えなくなります。

自分の感情はおろか、損得勘定もなくなって、自分を幸せにする行為を自ら辞めてしまうのです。

自分が損でも自分が得でも、相手のためなら尽くすという都合のいい人になっていきます。

そんな自分を嫌いになる前に、まずは考えましょう。

自分を抑えて相手の都合で動くことは、本当に正義でしょうか?

それが、自分を幸せにするならいいですが、少しでも歯を食いしばるようなら、誰かに任せてみるのもアリです。

人によっては、自分の損得勘定が絡めばやってくれる人もいますし、実は「やりたい」という思いを言い出せていない人もいます。

そして、もっと残酷なことを言うと、誰かの都合を考慮して動いてくれている人に本気で感謝してくれる人は、ほとんどいません。

自ら対価を支払ったり、恩返ししてくれたり、協力してくれる人がいるなら、その人たちを一生大事にする必要がありますが、大体の人は「自分が楽できる~!」と思うだけで、喜んで傍観します。

自分の感情か、自分の損得勘定が反応するものだけを取り組むのが、人の基本的な考え方なのかもしれません。

「~やりたい」→「~した方が良い」→「~しなければならない」にレベルアップしないよう、自分を守っていくことが一番の義務です。

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