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「楽しい思い出なんて、要らない」とか言わない。

まずは、珍しくお知らせです。

昨日、YouTubeにアップされた動画「夏夜の仕業/榎本 feat. 窪み」の作詞に多少なりとも携わっています。良かったら、聴いてください。聴きながらこの先を読んでもらえると嬉しいです。

この曲が完成して、もう何度も聴いています。

夏をテーマにした曲だけに、この曲を聴きながら「自分の去年の夏は、どんな感じだったかなー?」と振り返ってみました。

残念ながら、去年の夏の思い出は、一つも思い出せませんでした。正確に言えば、夏の思い出と呼べるほど、何か特別なことをしていないのです。

10代の頃だったら、季節が変わるたびに去年のことを懐かしんでは、「今年はどう過ごすか?」という計画にワクワクしていました。

ただ、大人になって地元も離れ、休みもなく働いていると、ただ純粋に楽しいことをやり続けた思い出ができなくなっていきます。

新たな思い出ができない僕の純粋に楽しかった思い出といえば、やはり学生時代の思い出になってしまいます。

そのときほど、楽しいことだけにまっすぐと向き合えた時間はなかったし、いつも友達と楽しく過ごすことなんて当たり前の話でした。

そんな僕が、地元・沖縄の友達と話した時に、時々ショックを受けることがあります。

それは、僕が10代の頃の思い出を楽しく語っていると、もうその思い出を覚えていない人がいることです。

高校卒業後、沖縄を飛び立って東京で働きだした僕は、大学の思い出もないし、新たに友達もできなかったので、思い出が増えることはありません。

しかしながら、周りはもれなく全員進学していて、新たな環境で思い出が一つ、また一つと、どんどん増えていきます。

記憶というのは、新しい方が覚えやすいので、僕が覚えている思い出なんて、彼らの中ではどんどん薄れていきます。

これは、当然のことなんですが、僕の立場は辛いものです。

周りの楽しそうな思い出話の中に僕はいなくて、僕の楽しい思い出に周りの友達はいても存在確認はできない。

この現実が、孤独感を加速させてしまい、よりムキになって、「青春ごっこなんてくだらねぇ!」と、気づけば周りをひがんでいました(笑)。

ひがみっぱなしの僕は、友達の人数に制限をかけ、新しい出会いを拒み、自分の仕事だけやればいいと意固地に生きてきました。

それでも生きることはできますが、純粋に楽しい思い出というのは、やっぱり必要なんです。

純粋に楽しい思い出がないと、心を動かされにくい体になっていきます。

僕は、青春している若者を受け付けなくなったので、自分も青春が出来なくなりましたし、新しい出会いも受け付けなくなったので、新しいことをするのが億劫になっていきました。

そうして幅を狭めていくことで、自分の苦手な分野はどんどん広がっていくばかりです。

本当なら、青春ドラマも好きなのに、新しい挑戦もしたいのに、「そんなものに心を動かされてたまるか!」という反骨精神が邪魔をします。

その結果僕は、毎日同じことを繰り返すだけの、ロボットのような人間に仕上がっていきました(笑)。

ロボットならいいですが、人間は楽しい思い出を作らないと心が機能しなくなっていきます。

この曲のように、強烈に心を動かすような恋をすれば、多少腐っていた僕も、人間になれそうです(笑)。

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