自分の気持ちに正直になれば、頭は疲れない。
毎日が楽しい日々なら、本当に最高です。
もしかしたら人によっては、毎日が楽しく感じる人もいるかもしれませんが、少なくとも今の僕に、『毎日を楽しむ機能』は備わっていません。
特に僕にとっての日曜日は、嫌な仕事がたくさん溜まっているので、1週間の中で最も楽しくないです。
今までは、「どうやればこの楽しくない仕事たちを、楽しく感じられるのか」に注力していましたが、あまり上手くいきませんでした。
よく、「何事も、捉え方次第で楽しくなる」と言う人もいますが、僕にはそんな才能はなく、楽しくないことは全く楽しさを感じられません。
以前は、そういう考え方を信じて、自分の苦手な勉強、仕事、人付き合いなども、良い方に考えるように努力はしました。
でも結局は、その場の責任を全うする時間が過ぎるだけでした(笑)。
好きでも嫌いでもないことなら、まだ考えようはありますが、やっぱり、嫌いなことを嫌うのが人間なのです。
そんな僕は、嫌いなことを好きになる努力を諦めました。
嫌いなことから逃げるために創意工夫することを辞めないと決め、嫌いなことをやらないといけない状況にあるなら、嫌いなままやろうと決めました。
嫌いなことだからこそ、早く正確に終わらせることを優先すれば、好きなことに取り組める時間が増えるはずです。
たとえ、嫌いだとしても、取り組めば必ず終わりは訪れますし、品質に問題なく終わらせることも可能です。
そう考えるようになってからは、すごく楽になりました。
目の前の仕事を無理矢理好きにならないでも、その仕事との距離感を上手く測れるようにもなりましたし、何よりも、自分の気持ちに嘘をついていない感覚を認めるというのは、気持ちが良いことです。
僕らは、知らず知らずのうちに自分の気持ちに嘘をつくことが多いです。
僕は、自分で選んだ仕事を好きになれないのはおかしいと思い、無理に嫌な仕事でも好きになろうと頑張りました。
他の人に楽しく仕事をしていると思われたいからといって、正直な気持ちは所々で抑えるようにしていました。
でも、仕事の全てを好きになれなくても良いのです。
嫌いであったとしても、上手く付き合っていく方法はありますし、耐えられないなら、限界値を設定して逃げることもできます。
人が自分の気持ちに嘘をつくときは、大体は「他人からの見え方」を気にしています。
僕は、ずっと他人からの見え方を気にして生きてきたので、なかなかその癖は抜けきれていないですが、こうして他人を気にする生き方は無駄なことだと思います。
なぜなら、大体の人は、僕がどうなろうとあまり興味がないからです。
大人になって気がついたのですが、僕がどうだったか、これからどうなるかについて興味がある人は、おそらく日本に5人もいません(笑)。
僕が久々に会う人も、大して僕のことは気になっていないことが多いので、いつも残念な気持ちになっています。
だからこそ、自分の気持ちに嘘をつく必要は全くないのです。
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