「楽しい」とは、笑顔で疲れることだ。
僕は、1日の最後に、今日あった楽しかったことを3つ、残念だったことを1つ書き出して寝ることにしています。
楽しいことや残念だったことを自覚すれば、「自分の人生、案外悪くないな」と思えるだろうと始めたのですが、最近は「楽しいこと」も「残念なこと」も書きだすのに苦戦するようになりました。
自粛のせいもあって、大したことが起こりにくい状態という現状もありますが、そうは言っても人生は続くものです。
少なくとも、楽しい時間ぐらいは、増やしていきたいです。
そもそも、「楽しい時間」とは、どのような時間のことを言うのだろうと考えた時、第一条件に「笑顔」というものがあると思います。
心の底から、自然と笑ってしまうものは、大体が「楽しい時間」です。
その時間に何かしらの罪悪感を持たず、時間が経つのも忘れるようなときは、確実に楽しいでしょう。
しかし、そんなに「楽しい時間」を過ごすのは、体力が要ります。
笑い続けるだけで、ある程度のエネルギーを消費しますし、笑わせる側にたったら、より多くのエネルギーを消耗します。
つまり、ある程度疲れる覚悟ができていないと、「楽しい時間」を過ごすことは難しいのです。
「疲れる」という言葉は、想像以上に重くのしかかってきます。
何かしらしようと思った時、その先に「疲れる」が待っていると思っただけで、一気にやりたくなくなります。
いくら笑顔になれても、疲れるというのは、日々の仕事でこりごりです。
そんな時、ほどよく疲れずに笑顔になるものを探します。
ちょっとの時間で楽しめるものだったり、自分が動かないで済むものだったり、誰ともコミュニケーションをとる必要のないものを、自ら進んでやっていきます。
その時は、なんとなく楽しい感じがするのですが、後で振り返ったとき、「あれ?今日なんか、楽しいことあったっけ?」となってしまいます。
ヒドイときは、「テレビで見た芸能人が綺麗だった」とか書いています。そんなの、今日に限ったことでもないのに(笑)。
それに対して、スラスラ書けるときは、大体は自分に負荷をかけたものが多いです。
誰かと熱く語り合った、粘り尽くして新しいものを作った、頭がおかしくなるほど一つのことに取り組んだことなど、どれもハードワークです。
そして、どのハードワークも、笑顔で終わりを迎えています。
そこで得た学びや気づき、このnoteに持って来たり、他の人と会った時に放出して、受け手が笑ってくれたら、僕にとっての「楽しい時間」が完成します。
「楽しい時間」というのは、何度でも味がします。どんだけ疲れても、何度も思い出して笑えるなら、十分に元が取れています。
だったら、「疲れ」なんて大したことがないのかもしれません。
むしろ、「疲れてやろう!」と意気込むぐらいが、ちょうどいいのです。
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