見出し画像

褒めることはできなくても、羨むことはできる。

人のスゴいと思うところ、尊敬するところ、良いところを見つけたら、すぐに褒めることができるだろうか?

その人が褒められて自己肯定感が上がったり、自信になるのであれば、すぐに褒めた方が良いのでしょうが、それができる人間はそう多くはありません。

自分が褒めることで失礼に思う人もいるかもしれないし、そもそも自分からの褒め言葉なんて要らないと考えている人もいるかもしれません。

そう考えるほど、褒め言葉は自然と引っ込んでいって、いつしか自然消滅していきます。

しかし、人間というのは、自分を完璧に客観視できないものです。

誰も褒め言葉をかけなければ、自分の長所に気づかないまま、いつしかその長所が消えてしまうことがあります。

そのとき、妙な寂しさを感じてしまいます。

積極的に話しかけてくれなくなっている、面白いことを言おうとしなくなっている、丁寧さがなくなっている、能力を発揮しなくなっている・・・。

もちろん、自分が褒め言葉をかけていれば、その長所が失われずに済んだかどうかは分かりません。

しかし、その褒め言葉をかけてみる価値はあるでしょう。

僕自身、人からの褒め言葉のおかげで、長所を失わずに済んだことが多いです。

僕は、文章を書くことが上手いと思ったことがありません。

ただ、高校ときの国語の先生が「あなたは文章を書き続けてほしい」と言ってくれたり、noteを読んだ関係者やフォロワーの方が文章を褒めてくださったから、なんとか辞めずに文章を書き続けています。

そんな僕だから、褒め言葉の効力はよく分かっています。

しかし、やっぱり偉そうに思われたくないし、不快にさせたくもない。

そこで僕は、最近は褒めることを諦めました。

その代わり、相手を羨む気持ちを素直に伝えています。

この世の人は、誰もが「自分にはない能力」を持っています。

ここで言う能力は、技術、知識、容姿、性格なども指します。

相手の持つ能力が、いかに優れているか、いかに努力の上に成り立っているかなんて、どうだっていいです。

とにかく、自分がどれほど羨んでいるかを伝えるだけでいいんです。

自分もこうしたいのに、なかなかできない。

自分にその能力があれば、こんなことをしたい。

その能力を使って、こんなことをしてほしいな。

こういうふうに伝えられると、人は案外すんなりと受け入れるものです。

多分、高校時代の僕が国語の先生に「文章、上手い!これからも頑張って!」と言われると、全くやる気にならなかったでしょう。

ちゃんと羨んでいることが伝わったから、それをいつまでも覚えているし、自分の強みにしていきたいと思っています。

だから僕は、褒めることはできなくても、羨むことはしていきます。

プライドを持たなければ、羨むことは簡単にできますから。


面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!