自分が正しいと思うことを貫くのは、悪いことじゃない。
「誰もあんたに興味ないから、大丈夫だよ」
「誰もお前を見ていないから、大丈夫だよ」
「誰も君に期待してないから、大丈夫だよ」
人目を気にする人に対して、こんな言葉をかける人がいます。
しかし、何度聞いても、僕は、こういう類の言葉が好きになれません。
励ましのつもりでも、どこか納得感がなくて、なんか引っかかる。
こういう時は、もっと良い表現が生まれたり、自分の思考を整理していくチャンスです。
僕は、自分がこの言葉のどこに嫌悪感を抱いているのかを考えてみました。
やはり、どうしても引っかかるのが、前半部分の否定表現。
誰も興味を持っていないなら、誰も見ていないなら、誰も期待していないなら、何をしても誰かに届くことはありません。
つまり、肯定してくれる人も、いないということになります。
人目を気にしないことも大切ですが、人から承認されるのも、僕らにとっては同じぐらい大事なことです。
それに、「誰もあなたのことを気にしていない」と言われると、相手の自惚れを自覚させるような表現なので、意地が悪いような気もします。
そして、もう一つ気になるのは、誰も興味がなければ、見ていなければ、期待していなければ、何をしてもいいのでしょうか。
「自分のことなんて、誰も気にしていない」が根本にあると、基本的に自分勝手な行動に走ることができます。
そういう人は、信号無視だって、ポイ捨てだって、割り込みだって平気できますし、実際にしている人は、「自分のことなんて、誰も気にしていない」と思っているからできるのでしょう。
とはいっても、そういう人たちに限って、自分がよく見られたい人の前ではそういうことをしません。
つまり、相手によって態度を変えるだけの人になって、ただの卑しい人間になってしまいます。
それなら、国民全員を気にして生きた方がマシだと思います。
だから僕は、「あなたのことなんて、誰も気にしていない」という表現が、あまり好きではありません。
では、人目を気にしている人に、どんな言葉をかけるべきでしょうか。
ここまで考えた僕は、ある一つの表現を思いつきました。
「自分が正しいと思うことを貫くのは、悪いことじゃない」
たとえ、周りから批判されても、自分が正しいと判断したのなら、それを貫くべきです。
貫いてみて、間違っていたと自分で判断したら、潔く間違いを認めればいいだけの話ですし、反省して前に進めば良いだけです。
自分が正しいと思ったことを貫いて、それが評価されたり、自分の状態が良くなることは、すごく清々しい気持ちになります。
どちらの表現にも共通して言えることですが、自分のことを一番見ているのは、他の誰でもない、自分自身です。
自分の目を無視した分だけ、その代償は大きくなるようにできています。
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