10年以上、自分で生み出したストレスに苦しめられていた。
昔から僕は、上手く断ることができませんでした。
現在では、断りやすい時代になってきたので、不要だったり、他の予定とカブっていたら誘いを断ることはよくあります。
ただ、未だに断りにくいこともあります。
それは、自ら何かに取り組む仕事や勉強です。
特に学生時代、勉強をしたくても誘いを断れませんでした。自分の予定と誰かを交えた予定を天秤にかけると、どうしても誰かを交えた予定を優先してしまいます。
もう誘われなくなってしまうリスク、相手を落ち込ませてしまうリスク、仲が悪くなってしまうリスクなどが、頭の中に浮かんできてしまううえに、自分の予定なんて、いくらでも後回しにできるという考えも、同時に浮かんでしまうからです。
自分の予定は、明日の予定を一つ潰せばよかったり、徹夜でやり切ったりすればよかったりもします。そうして、なかなか断れない状況が続いていました。
その度にストレスをためて、人とのコミュニケーションを嫌がるようになりました。
人と会う時間は楽しくても、その時間が終わると、一気に疲れが押し寄せてきて、「あぁ、これからやることたくさんだ…」と独り言を言いながら、自分のやることに取り組んでいました(笑)。
昔から、一夜漬けで何かやるのが苦手な僕にとっては、相当なストレスになっていたと思います。
しかし、あまりにもストレスを抱えていた僕は、一度だけこの本音を漏らしたことがあります。
「俺さ、何かするときって、誰かいるだけで集中できないんだよね。しかも、徹夜で何かやるのも苦手で、毎日ちょっとずつやっていきたいから、誰かといる時間って、楽しいけど苦しいんだよね」
この発言をした僕は、「しまった!」と思いましたが、相手の反応は意外なものでした。
「だったら、早く言えばいいのに…。私も結構、そういうタイプだよ」
まさか、共感されると思っていなかったので、その言葉に驚きました。なんだったら、「この人、神様か!?」とすら思いました(笑)。
そうなると、僕がこれまで抱えていたストレスは、何だったのでしょう?
相手に断る理由を言えばよかっただけの話だったんです(笑)。僕は、このストレスに10年以上は苦しめられていましたし、人とのコミュニケーションを嫌がる理由も、これが多くを占めています。
そもそも僕が、断れなくなった理由は、家庭環境にあったと思います。
僕の兄や父が、自分の取り組みたいことを優先したいからと言って、断ったことなんて全く見たことありませんでした。
そんな中、僕は一度だけ、自分のやりたいことを優先したいがために、家族の時間を断ったことがありました。
その日は、家族で外食していた日で、会計している母とトイレに行った兄を店内に残して、先に僕と父が店を出たときに、カラオケに誘われました。
「じゃあ、みんなでカラオケ行くか!」
僕が喜ぶと思って、楽しそうに言った父でしたが、僕はそれを断りました。
「いや、勉強したいから、俺はいいよ」
父は納得した様子でしたが、その後、僕を除いた3人でカラオケに行くことはせず、全員で帰宅することになりました。
断られたことで気分が害された父は、僕のせいでカラオケに行かなかった話を、カラオケ好きな兄に話していました。
それが発覚すると、兄は僕に対して、怒鳴り散らしました。それに対して、誰もフォローするわけでもなく、ただただ僕は怒られ続け、結局勉強なんてできませんでした(笑)。
僕はその時に学びました。
「断る」って、仕方のないときにしか成立しないんだ。
これが、誰かとの約束や病などであれば、兄は本気で怒ったりはしなかったでしょうし、父もわざわざ怒りそうな兄に話したりはしなかったでしょう。
僕は、父の気持ちも兄の気持ちも、よく理解できたので、「自分が悪い」とばかり思っていました。
しかし、そうではないということに、最近気がつきました。
「断る」というのは、90%の「自己肯定感」と、10%の「勇気」です。
僕は、勇気はある方だと思いますが、自己肯定感が圧倒的に欠如していました。「こんなことを言うと、嫌われてしまう」「こんなことを言うと、怒られてしまう」とばかり考えていた過去が長すぎるので、未だにその癖が抜けきっていないところがあります。
僕は、記憶力が良いので、良い思い出も悪い思い出も、全部覚えてしまいがちです。
しかし、だからといって、全てを今に活かす必要はありません。
自分で生み出したストレスに、本日で別れを告げたいと思います。
今まで、ありがとうございました。さよなら!
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