既読無視された人のプライド問題。
最近は、外出自粛期間なので、時間が多いに余っています。
そこで、年に一度しか会わない友達に自分から連絡を取ってみました。
僕は、自分から連絡を取るのが、とにかく苦手です。
その理由は、相手に嫌がられることが怖いから。
別に、相手が自分を嫌いな証拠はないのですが、相手の反応次第では自分が傷つく結果になるので、あまり連絡を取りたくありません。
今回、何人かに連絡を取ってみましたが、電話で喋ってくれる友達から、既読無視をする友達までさまざまでした。
問題は、既読無視された事実との接し方。
その人は、僕に興味がないということなので、これから連絡を取らない方が良いのか、それとも、いろんな人に対して既読無視を貫く人かもしれないので、あまり気にしない方が良いのか。
一つの既読無視をめぐって、いろんな考えが張り巡らされます。
そもそも、ここまで傷つくことに敏感になったのは、いつからだろうか。
10代の頃だったら、そこまで怖れることはなかった既読無視が、現在はここまで恐ろしいものになっている。
僕がこうなってしまったのは、自分一人で生きすぎた結果だと思います。
沖縄から上京してから、新たな友達もつくることなく、一人で下積み期間を過ごしてきた自分にとって、信じられるのは自分だけでした。
みんながまぶしい大学生活を過ごしている間、僕は世界で一番孤独な時間を過ごしていました。
「作家になる!」と言ったのに、肝心な作家の仕事が何かあるわけでなく、毎日工場で身を削る生活をしていました。
当時の僕は、誰かと連絡を取るなんて、とても恥ずかしくてできなくて、成人式だって行きませんでした。
その結果、次第にお金とプライドだけが貯まっていきます。
お金は作家事務所に入った時の、当面の生活資金に使いましたが、プライドだけは使いどころがありません。
何かあるたびに、自分が過剰に傷つくことを何度も繰り返していきます。
既読無視された画面が目に入る度、自分が情けない気持ちになって、自分には返信されるだけの価値がないと思い込んでしまいます。
プライドを消費していく方法は、一体なんだろうか。
多分それは、自分が完璧じゃない人間と知らされることだと思います。
10代の頃は、毎日のように同い年の人と顔を合わせるので、大きな差を感じなくちゃいけなくなります。
同い年なのに、自分よりも勉強ができる人、自分よりも友達が多い人、自分よりもモテる人、自分よりも運動神経が良い人などがいて、プライドを誇るだけ恥ずかしくなっていきます。
しかし、一人で過ごしていると、比較対象が常にいるわけではないので、自分の能力が高いと勘違いしやすいです。
そのプライドだけが高くなると、そうではない時に過剰に傷ついてしまって、一度プライドを折られてしまうと、いろんな方向に悪く考えてしまいます。
例えば、既読無視されたことによって、人望がないと感じてしまい、だから仕事も任されない、だからモテることもない、本当は友達にも好かれていないなど、どんどんネガティブに考えが進んでいきます。
逆に言えば、この全てにプライドを持っていたことにも気がつきます。
しかし、他人に絶対はありえませんし、そうやって思い込むことで自尊心を保つぐらいなら、最初から捨てておいた方がマシです。
自分は自分なりに、最大限の努力をすることしかないのに、こうして他人に期待するのは、誰も幸せにしません。
多分、プライドに使い道はありません。捨てるしかないのです。
これから、プライドの断捨離がはじまりそうです(笑)。
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