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好奇心がプライドに変わらないように、僕は正義を決めない。

プロフィールを書くとき、自己紹介するとき、趣味の話をするとき、僕はいつも、もたついてしまいます。

「○○が好き!」と話す前に、頭の中で「ん?俺が○○が好き!と言っていいのだろうか・・・」と、必ず悩んでしまい、結局言わないことが多いです。

おそらく、一般レベルよりは、音楽も聴いているし、ドラマも観ているし、本も読んでいますが、それらのジャンルを「好き」と言ってしまうと、「じゃあ、○○知ってるよねー」とマウントをとられそうで怖いのです。

「自分が一番好き」だと思っているものに関しては、妙にプライドが高い人が多いし、無意識のうちに”自分の考えこそが正義”と思っている人が多いです。

特に困るのが、音楽の話をするとき。

音楽というのは、ものすごくジャンルが広いため、「音楽といえばロック」と思っている人もいれば、「音楽といえば洋楽」と思っている人もいるし、「音楽といえばHIPHOP」と思っている人もいます。

そのため、「どんな音楽聴いてるの?」と質問を受けたときは、ものすごく回答に困ります。

「よくスピッツを聴いています」と答えて喜ぶ人もいれば、「あぁ、そっち系ね・・・」と相手を低く評価して、話を広げない人もいます。

低評価を下されたときの雰囲気は最悪で、なんとなく僕の回答のレベルが低いという空気感になります。

僕からすれば、「お前も音楽が好きなら、普段自分が聴いていないアーティストにも、少しは興味を持てよ!」と思うのですが、”自分の考えこそが正義”と思っている人ほど、自分の守備範囲外の知識を嫌う傾向にあるので、なかなかそうもいきません。

どういうわけか、「好奇心」が「プライド」になってしまうのです。

はじめは、自分が知らなかったアーティストに出会って、自分が聴いたことがなかった曲を聴いて、自分が今までに味わったことのない感動を得たのに、いつの間にか、自分の知っているものを反芻することだけに価値を置くようになってしまうのです。

僕は、どんなジャンルであっても、好きを語るのは勝手だと思うのですが、「好奇心がない好き」は、少しもったいないような気がするのです。

誰かにおすすめされたことをきっかけに、好きになることもたくさんあるし、知識の幅も広がっていきます。

自分の殻に閉じこもっていた方が疲れないので、僕らは無意識のうちに「正義」を作ってしまいますが、それは本当の正義とは言えません。

そもそも、こういった趣味嗜好の話には正義も悪もないのですから、そういった概念を打ち破って話さなくちゃいけないと思うのです。

自分を守るだけの正義は、知る喜びを奪うし、他人を傷つけます。

僕自身、常にそう言い聞かせて、いろんなものに触れていきます。

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