事実を受け入れないのは、自分を守りたいから。
生きていると、ときどき受け入れがたい事実があります。そんな時、事実と向き合う人と、事実と向き合わない人がいます。
僕は基本的に、事実と向き合っていく人間ですが、完璧ではありません。
ときどき、どんなに事実だと聞かされても、なぜか突発的に「それは事実ではない」と思い込んでしまうことがあるのです。
先日、僕の祖父が亡くなったと報告を受けたのですが、僕はその事実を「本当にそうだろうか?」と疑い、信じようとしませんでした。
もちろん、亡くなったという嘘をつく人はいないはずなので、何の疑いもなく、そのことを信じて良いと思うのですが、体がどうしても信じようとしません。
数年前に祖母が亡くなったときも、「本当か?」と疑っていましたし、今でも少し、どこかで生きているのではないかと思っています。
これまで、あまり自覚していなかったのですが、僕はどこかで自分の望むような事実に書き換えようとする機能があり、それなりに本気で現実にしようともがくのです。
もちろん、こういう考え方が備わっているのは、僕だけではありません。
ほとんどの人が、自分に都合が良いように物事を捉えようとします。
どうせいつかは認めなくちゃいけないのに、どうせ悲しいのは一緒なのに、こんな愚かな考え方をする理由は、人間として弱いからなのでしょう。
今、悲しみに向き合うと、自分を保てなくなりそうで怖いため、自分を守ろうとするのだと思います。
取り返しのつかない失敗をしても、言葉にできない悲しみがあっても、誰にも言えない辛さがあっても、そうやって守ることで、なんとか生き延びているのです。
だからこそ、人は怖いことに飛び込むことができるし、新しい挑戦ができます。
精神的ダメージを補填する機能が備わっていることは、人間の素晴らしいところです。
もし、何かから目を背けたくなったら、思いっきり背けてみて、ゆっくりと自覚していけばいいのです。
そうやって、自分を守って生きることを繰り返し、人は長生きするのです。
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