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お金を払っても、夢は手に入らない。

「夢」や「希望」がある人間と、そうでない人間がいます。

一応僕は、なりたい仕事に就くことができたので、周りからすれば、「夢」を叶えた人間になるそうです。

僕は、「夢を叶えた」なんて大げさなことを言うつもりはありませんが、夢を叶えていない大人は、僕のことを「大したもんだ」と評価してくれます。

それはそれで嬉しいのですが、自分だけが幸せ者のように扱われてしまうのは、違和感があります。

「夢を持てるだけ良い」「未来を考えるだけで素晴らしい」「前向きに生きていてスゴい」なんて言われると、自分と他人の境界線がくっきりと引かれてしまい、すごく寂しく感じます。

僕は、人間のすべては「夢」や「希望」を持っていると思います。

常日頃から、好きな食べ物を食べたい、好きな人と会いたいという欲望があるのなら、「将来こうなりたい」ぐらいの漠然とした欲望はあるはずです。

なぜか、自分の将来となると、曖昧にしたがるのが人間です。

その理由は、苦労をしないことが素晴らしいと思っているからです。

常日頃の欲望を叶えることは、あまり苦労しません。販売店やネットショップで、お金を払いさえすれば、手に入れることができます。

しかし、将来の夢を叶えるとなれば、自分の労力を引き換えにしないといけません。

自分がどれほど苦労すればいいのか分からないのに、夢を叶えるまでは労力をかけ続けないといけません。

それも、皆が挑戦する“お受験”とは違って、自分一人で戦わないといけないことがほとんどです。すごく孤独な時間を過ごすことになります。

結局、それが嫌だから、一生「やりたいことがない」ことにしています。苦労と思えることは避けて通りたいのです。

だって、僕の人生を肯定してそうに見える人も、冷たいことを言います。

「俺は大丈夫だけど、そっちは大変でしょ?」「俺は、お前みたいにはできないな」なんて言う人がいます。

そうして、苦労していない自分と、苦労している僕で線を引こうとします。

そう言う人は、僕にリスペクトがあって言っていると主張しますが、僕はそういうリスペクトを断固拒絶します。

これじゃまるで、僕の生き方にデメリットしかないみたいじゃないですか(笑)。

確かに、そういうデメリットがあるのは事実ですが、その苦労と引き換えに手に入るものがあると分かっているから、こういう生き方をしているのです。

しかも、この時代においては「絶対に大丈夫」なんてありません。

自分を大丈夫なことにして、苦労していないと思いたいだけです。

夢を追う人と追わない人が異なる点もここにあります。

夢を持たない人たちは、「お金」を払って「幸せ」を買うことしか知らないですが、夢を叶える人は「苦労」を払って「幸せ」を買う方法も知っています。

決済方法が2つあった方が、明らかに便利です。

そして、苦労を払って手に入るものは、お金で買えるものとは比べものになりません。

つまり、夢を叶えるとは、苦労を払って手に入れるもののことです。

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