コメント_2020-01-24_101944

人との比較なんて、やめたもん勝ち。

僕の書いた詩が入選し、今日まで三越前駅A1出口付近で展示されています。来週の28日(火)からは、地下鉄博物館でも展示されます。

詩を選んでいただいたことは、もちろん嬉しいんですが、そこには僕の詩以外にもたくさんの人の詩が並んでいるので、どうしても比べてしまいます。

人と比べる時に起きてしまうのは、やはり劣等感です。いつの間にか、高い壁が立ちはだかっているように感じ、物事に取り組めなくなる悪循環を生んでしまいます。

僕だって、詩の比較をしましたが、劣等感に襲われていません。それは、ある時に“人との比較なんて、やめたもん勝ち”じゃないかと思うようになったからです。

僕は中学時代、サッカー部に所属していたのですが、ギリギリのレギュラーメンバーでした。なので、足の速くて、ちょっとセンスのあるヤツが調子良いと、僕と代わって試合に出ることがありました。

僕とそいつは、どっちの方が試合で使えるのかを比較されることが頻繁にありました。僕はネガティブな生き物なので、そいつが試合に出るたびに負けたような心地がしていましたし、比較しては落ち込んでいました。完全に僕の方が劣っていると思いました。

しかしながら、僕のプレーを褒めてくれるチームメイトや顧問もいます。その時に、自分にだって需要があることに気づきます。

僕とライバル関係にあったそいつは、足が速く、シュートを打ったり、パスに対応する力の高い攻撃タイプであることに対し、僕はパスを回したり、どこまでも走りきる持久力の高い守備タイプです。

二人の評価は異なります。攻撃がメインのメンバーは、そいつの方が好きですが、守備がメインのメンバーは、僕がいた方が助かることが多い。

そこで気がついたのは、自分の能力を決めつけてはいけないということ。

環境によって、能力の評価は変動します。だから、自分の方が劣っているなんて、一概には言えないのです。たとえ、誰かより劣っている部分があっても、必ず誰かより優れている部分もありますし、それを言語化できていないだけの場合が多いと思います。

自分自身の頭で、他人よりも何が劣っていて何が優れているかなんて、考えてもしょうがないと気づいた僕は、他人との比較に悩んでしまったら、こう言い聞かせて、落ち着かせています。

「俺にできることは、せいぜい頑張ることぐらいしかない」

一番良いのは、他人との比較を気にせずに努力を続け、自分の能力を伸ばし続けることです。それを繰り返すことで、圧倒的な存在になれば良かったんです。

そうすれば、ギリギリのレギュラーメンバーにならなかったでしょうし、もっと試合中のプレーを褒められていたでしょう。もしかしたら、サッカー選手になれたかもしれません。

あぁー。もっと早く気づいておけば良かったー!笑

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