言葉の意味なんて、意味がない。
言葉には、何かしらの意味があります。
その言葉が意味を持っているからこそ、会話することができて、文章を読むことができます。
しかしながら、文字通りの意味だけではない言葉もあります。
例えば、好きな人の目の前での言葉。心は惹かれているけど、恥じらいと照れと恐怖心があった時、その人の目の前で「あなたのことが好きです」と言う代わりに、微妙な言葉をチョイスしてしまいます。
好意は伝えたいという想いはあるものの、「あの時、嬉しかったです」「一緒にいて、楽しいです」「他の人とは違って…」ぐらいの言葉で代用して、肝心の「好きです」は伝えません。
言われた方は、直接好きなのかどうかを聞くのも野暮だと思い、一人で自分のことが好きなのかどうかを考え、今度は確信に迫るような質問をぶつけたり、こちらも間接的な言葉を伝えるかを悩むでしょう。
僕は、最も適切な意味を持つ言葉があるなら、それを伝えた方が良いと思っていました。わざわざ間接的な言葉を使うなんて、時間も労力かかるし、相手も直接言われた方が嬉しいはずだし、鈍感な人は好意にすら気づかないかもしれません。
「あの時、嬉しかったです」「一緒にいて、楽しいです」「他の人とは違って…」という言葉が、自分に好意があるという意味で受けとる人もいますし、別に好きと言われていないから気にしなくていいと考える人もいます。
こうなってくると、もはや言葉に意味は存在しなくて、相手の解釈次第で大きく変わってきます。
となると、微妙な言葉の罪は重いような気がします(笑)。
ただ、微妙な言葉は、ぶつけた瞬間こそは弱くても、後から多少の副作用があります。
その人が自分のことを好きだと分かった瞬間、それまで自分に言っていた微妙な言葉が、一気に良い意味に変化したりして、余計に嬉しくなります。
同じ言葉を何度も繰り返されると、すぐに足りなくなって補給したくなりますが、違った種類の言葉をかけられると、思い出すだけでお腹いっぱいになって、何度も回想したくなります。
その人が自分のことを好きかどうかわからなくても、好きかどうかを考えている時が楽しくて、一言だけなのに何時間でも味がします。
さぁ、それらを踏まえて問題です。皆さんの解釈で考えてください。
この前、小学校からの同級生で怠け者の千葉くんと、年末に地元・沖縄に帰省する話を進めていた時、僕と千葉くんはカレンダーを見ながらこんな会話をしました。
稲本「次の年末、いつ帰ろうかなぁ。多分、26日からなら帰れるかもしれないな。お前はいつぐらいになりそう?」
千葉「うん、俺も26日からなら行けそうだな。一緒の飛行機取った方がいいよな?」
稲本「まぁ、そうだなぁ。お前、俺と一緒に帰らないと意味ないもんな?」
千葉「それは、間違いない!」
お互いに直接「好き」だとは言っていませんが、会話としては、「好き」という意味を含んでいるようにも聞こえます。
僕らは、お互いに好意を持っているのでしょうか?
あ、もちろん、友達としてですが(笑)。
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