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友達は、未完成な自分を完成に近づけてくれる存在。

僕は、月に数回、友達と会う機会があります。

大体は、学生時代からの友達で、会ったときには、時間いっぱいまで話し尽くしています。

大人になると、仕事や恋愛、家族などの人間関係に忙しくなって、友達と会う暇がないという人もいるでしょうし、中には、学生時代からの友達と群れることに意味はないと言いきる人もいます。

僕は、そういう考えを持つ前に、友達の存在意義を見つめ直す必要があると思います。

友達とは、同じ趣味や似ている思考を持っていて、ある程度群れることができて、寂しさを紛らわすことができる対象ではありません。

未完成の自分を、完成に近づけてくれる、最も身近な存在です。

友達の存在意義は、人によってさまざまなのですが、少なくとも僕にとっては、未完成の自分を安心してぶつけることができる役割を担っていると思います。

そのため、何をして遊ぶかどこに行くかは、全く重要ではなく、“何を話すか”に重きを置いています。

生きていて思ったこと、自分だけが気づいた違和感、まだ誰にも話していない話、自分が面白いと思った出来事など、それらを自由に投げかけることができるのは、友達だけだと思います。

幅広い話をフラットに聞ける先輩、後輩、恋人がいるなら、その人たちも友達の役割を担っているでしょう。

しかし、先輩や後輩、恋人となると、どうしても“立場”が色濃く出てしまいます。

話している過程で、失礼があったり、パワハラっぽい口調があったり、容姿を傷付けてしまう言葉を言えば、話を聞いてもらえない可能性が高いです。

しかし、友達には上も下もありませんし、容姿を肯定している前提で付き合っているわけではないので、発言の幅が一気に広がっていきます。

表現の幅が広がるということは、未完成の自分を出せる自由があるということです。

友達の目を見て話していれば、「ここ、笑っていないな」とか、「ここ、興味なさそうだな」とか、簡単に知ることができます。

もっと遠慮のない友達なら、「つまらんな!」とか「それ、どうでもいいやー」と素直に言ってくれるでしょうし、建設的な人なら「他にも、こういう考えがあるよね」と意外な角度からアイデアを出してくれます。

友達の視点をもらえれば、会社で上司に伝える前に、文章を世に出す前に、意中の相手に話す前に、改善することができます。

実際に僕は、友達の反応を見て、noteの内容を決めることがあります。

全部採用するわけではありませんが、しっくりきていなさそうだった表現は言い方を改めますし、全体的にリアクションが薄かった場合は、全ての内容を変えることもあります。

これをするのとしないのとでは、相手への伝わりやすさが格段に違います。

元々、40点だったものが、一気に80点~90点の表現になることがあります。

友達関係の醍醐味は、等しい立場だからこそ、自由な表現ができるということです。

まだ未完成な部分が多い若者にとっては、友達と磨き上げていく時間こそが、青春の思い出になっていくのです。

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