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日常には、検索でたどり着かない感動がある。

一人の女子高生が、夕焼けを指差して、嬉しそうに追いかけていました。

その後ろから、「夕焼けなんてどうでもいい」という顔をした男子高生が、スマホを見ながら歩いていました。

女子高生は、夕焼けの写真を1枚撮って振り返り、「もっと近くに行こう!」と男子高生の手首をつかんで、夕焼けの方向に引っ張ります。

男子高生は、スマホから視線をあげることなく、面倒くさそうにしながらも女子高生に従い、夕焼けを一緒についていくことにしました。

二人は、夕焼けに消えていきました。

彼女たちを後ろから眺めていた僕は、夕焼けの美しさと二人の美しさを形に残したくて、写真を1枚撮りました。

その美しさは写真だけでなく、僕の脳裏にもしっかりと残りました。

どちらかというと僕は、男子高生のように、スマホばかり見ているタイプです。

僕の場合は、自分の悩みや仕事などについて考えすぎていて、綺麗な景色に関心が向けられなくなることが多いです。

それは、「綺麗な景色」に興味がないのではなく、綺麗な景色に感動する余裕がなくなるのです。

そういう人は、日常の中に「感動」はないと諦めて、自分で検索して「感動」を見つけ出すことばかりが得意になってしまっているんです。

なんとなく「日常で起こること」を見下していて、日常の中の感動を探すことよりも、仕事を進めるか、何かを学ぶか、娯楽に使うかで時間を埋めています。

しかし、その女子高生は、僕のような日常を見下す男子高生の手を引っ張って、日常の美しさに気づかせました。

それと同時に、空を見上げて跳ね上がっている女子高生を見た僕が、その日の夕焼けが綺麗なことに気がつきました。

彼女が彼だけに感動を伝えたつもりでも、その感動が僕まで届き、僕も日常の美しさに浸ることができました。

こうして、日常の美しさを味わうことができると、自分が生きているだけで、意外と感動できることはあるんだと気づくことができます。

自分から価値を見いだしていないだけで、「夕焼け」も「高校生の会話」も、心を動かすものがありました。

「彼女の興奮する様子」と「夕焼けの赤さ」を見て、大して特別な日じゃなくても、その中に「喜び」や「美しさ」という価値を見出すことはできるんだと感じました。

それこそが、日常の美しさです。

なんでもないことに価値を見出すことで、人生も美しくするのです。

最後に、スマホを見ていた男子高生に言いたいことがあります。

日常の美しさに気づかせてくれる人は、いつまでもいると思わないでください。すごく貴重な人だと思います。できるだけ永く大切にした方がいいと思います。そして、羨ましいです(笑)。

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