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「傷つけられる」って、意外と大事なこと。

人は、本音で話せる男とどれだけ出会えるかで、たくましさが変わってくると思います。

特に男性は、男同士の会話をすればするほど、ある程度恥ずかしさを回避できますし、自分の嫌な部分も直視できます。

男は、本音を隠したまま接する関係性は多くないので、コミュニケーションをとることが容易です。

その上、言っちゃいけないことが少ない分、相手の態度から学べることもたくさんあります。

僕は、男同士のコミュニケーションをとることが多くなった今、自分の変な部分、大事にした方が良い部分、恥ずかしい部分を自覚するようになりました。

男は男の前で、それぐらい正直になれる生き物なのです。

最近になって僕が強く自覚したのは、コミュニケーションが苦手だと思われていることです。

友達には当たり前のように「この人、コミュ障だから」と紹介されますし、職場でも「空気読めないから・・・」と言われたことがあります。

これは、自分一人じゃ絶対に気づけないことです。

僕は、喋るのは面倒くさくても、コミュニケーションはとっていました。

相手を笑わそうとしますし、そこそこ喋りは続きますし、話しかけられて戸惑うことはありません。

しかし、彼らと比較して圧倒的にできていないことが、ありました。それは、「うわべの会話」です。

大人のコミュニケーションの基本は、「うわべの会話」です。

「この辺の美味しいご飯屋さん、どこですか?」「へぇー、すごいですね!」「どんな仕事されてるんですか?」「休日は何してるんですか?」とかいうやつです。

僕は、そんな話をせずに、自分の気になることしか聞きません。

そもそも気を遣って喋るのが面倒くさいので、どうせ行きもしないご飯屋さんなんて聞いたって、しょうがないじゃないですか(笑)。

これが僕の当たり前の考え方でも、周りは違います。

うわべの会話をどれだけ流れるようにできるかが、コミュニケーションの善し悪しで、コミュ障かどうかを見極める基準らしいです。

この考え方が正しいかどうかはさておいて、そういう考え方が多数派であると教えてくれることで、僕は乱暴に喋りすぎていることを自覚しますし、直そうと思えば直すこともできます。

これが、全く誰にも指摘されないと、直しようもありませんし、自分が少数派であることも自覚できません。

悪い部分は悪いまま成長していきますし、それを悪いことだとも思えません。

大人になると、「誰にも指摘されずに生きてきたんだろうなー」と思ってしまう人に、たくさん出会います。

特に男の人は、頑固な部分があるので、指摘されずに生きてきた部分を曲げるのが苦手です。

もし、なんとなく孤独を感じた場合は、嫌でも男の人と会って話した方が良いでしょう。

自分の悪い部分も自覚しますが、それは自分のためになるし、そもそも本音を言われることは気持ち悪いことではないので、意外にも心が爽やかです。

あなたのそばにいる、本音で言葉を紡ぐ人は、とっても貴重なんです。

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