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知識は、誰かに勝るためではなく、幸せにするためにある。

最近、何かしらの分野に詳しい人がずいぶんと増えました。

自分が知りたい分野の情報を得るのが手軽になったからこそ、専門家のような知識量まで到達するスピードが早くなったのかもしれません。

若い人の会話を聞いたり、ネット記事のコメント欄なんかを読んでいても、それぞれが自分の詳しい分野の知識をぶつけあっているだけの構図になり、ほとんど会話にならない現象も、頻繁に起こるようになってきました。

別にこれが、とても悪いと言うつもりはありませんが、僕はそれらを見るたびに、こんなことを思います。

なぜ、詳しいのその先に、進もうとしないのだろう。

こんなにたくさんの情報が手に入る時代なので、「詳しい」ということの価値はそこまで高くないはずです。

本当に価値があるのは、詳しくなったその先です。

その分野の知識を分かりやすくいろんな人に伝えられれば、さらに発展させることもできるでしょう。

その分野に詳しいからこそ、問題点を見つけることができて、何かを変えられる可能性もあるでしょう。

その分野で得た経験があれば、別の分野に活かすこともできるでしょう。

しかし、ほとんどの人は、知識は増えていくのに、知識を得る以上のことはせず、知識をそのまま持つだけになります。

挙句の果てには、少し自分より詳しくない人を目の敵にしたり、信憑性がないことまで詳しくなっていったり、欲していない人に知識を投げつけたりして、知識依存症になります。

知識を能力に変換することなく、他人を攻撃する武器としてしか、使わなくなっていきます。

おそらく、こうなってしまうのは、「詳しい=すごい」という価値観が染みついているからでしょう。

学生時代から、勉強に関する知識量がある人が「優等生」とされてきたし、勉強に関する知識量がなければ「劣等生」とされてきました。

その価値観を引き継げば、詳しいことは価値が高いように思えます。

しかし、大人になった途端、求められることは「知識」ではなく「能力」です。

確かに、詳しくないよりは詳しい方がすごいかもしれませんが、詳しくなるだけなら、意外と誰でもできてしまうのも現実です。

だからこそ、詳しいのその先に進まないと、すごくもったいないと思うんです。

知識があるなら、その分野を発展させるだけの素質はあるはずです。

知識を持つ人たちが変われば、現代に巻き起こる「知識戦争」はなくなっていき、幸せになる人が増えると僕は信じています。

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