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効率を考えた分だけ、楽しさは薄れる。

自分の体に染みついている“あの感覚”のせいで、原因不明のモヤモヤを感じる時があります。

その感覚は、「効率的に生きようとする感覚」です。

自分が損しないために、遠回りしないために、最適なルートをあらかじめ調べておいて、そこに沿うように歩くのです。

そうなってくると、いつの間にか自分の目的が変わってしまうことがあります。

本来なら、目的地で感動を味わうために出かけたのに、いつの間にか、正確にたどり着いて、それなりの元を取れるかを考えてしまいます。

行ったことがないスポットに出かける時、どっちのマインドで行くかによって、味わえる感動は大きく変わります。

正確にたどり着けるか、損しないで楽しむことができるかなどの効率を重視してしまうと、せっかくの感動も、ただの確認作業になってしまいます。

そのスポットがどれだけ美しくても、サービスがよくても、「まぁ、これだけの時間とお金を使っているからな」と、冷めてしまいます(笑)。

その結果、「何をしても楽しくない現象」が起きるのです。

効率を良くする大切さは、学校、バイト先、職場などでしつこいぐらい言われます。人生の3分の1は言われて続けていることなので、そのせいで自分の貴重な時間にも持ち込んでしまうのかもしれません。

確かに、「効率が良い」というのは、魅力的です。

最小の努力で、そこそこの結果を出している人を見ると、羨ましく感じますし、天才のようにも思えてきます。

僕は今後も、そういう人をたくさん見るでしょう。

ただ、それを見たときに、僕は自分にこう問いかけたいと思います。

それは、楽しいことなのか?

やりたくない作業を減らすために、人は効率を考えます。

あまり長い時間をかけなくて済むように、無駄と思われる作業をなくしたり、短時間でできるように工夫します。

しかし、決して、何かが楽しくなったわけではありません。

あくまで、やりたくないことを早く終わらせるための考え方で、「楽しくない」が前提になっています。

つまり、効率を重視する考え方は、楽しみたい事に持ち込んではいけないのです。

楽しもうとするときは、無駄なことも楽しい思い出の一つになる可能性があります。ちょっと道に迷ったり、チケットの買い方が分からなくて人に尋ねたり、意外な発見があったりします。

人間は、いつも考えているクセが、何かしら出てしまいます。

なので僕は、基本的には効率よりも感動重視の生き方をしたいと思います。

効率について考える時間が多いということは、楽しい時間が少ないということです。

ちょっとした失敗も楽しむ余裕が許されるなら、大いに損しましょう(笑)。

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