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負の感情が混ざりあったら、覚悟を決めるとき。

ここ数日間、しばらくnoteを書くのを休んでいました。

その理由は、モヤモヤした思いに、答えが見いだせなかったからです。

基本的に、僕はモヤモヤした思いを抱えると、noteで文章にします。

文章を書きながら、「このモヤモヤした思いから脱出するためには、どう考えればいいのか?どんなことをすればいいのか?」といったことを考え、その解決策を言葉にしています。

しかし、今回の悩みの解決策は、そう簡単に見つけられるものではありませんでした。

正確に言えば、解決策を考えることにも疲れていて、文章にすることも面倒になって、考える体力が回復してから書こうと思い、少しの間お休みしていました。

ひとつひとつ考えて、数日間かけて答えに辿り着いた今は、心が落ち着いています。

いつもなら、早く解決策を見つけるのに、なぜ今回は時間がかかったのか。

その理由は、「覚悟」が必要だったからです。

今回僕が悩んでいたことは、「不機嫌な人」との向き合い方でした。

やはり、不機嫌な人がいると、緊張で心に余裕が生まれなくなるし、言動のすべてに気をつけるようになります。

なるべく、モチベーションの下がることを言わないように、失礼なことを言わないように、間違ったことを言わないようにと、自分の中に緊張感が走ります。

挙句の果てには、「もういいや」と諦めて、こちらも無愛想になってしまうこともあります。

ネットを調べれば、いくらでも解決策は書かれているのですが、どれも納得いかず、実践することに難しさを感じていました。

「気にしない」といっても無理だし、「思い込みをやめよう」といってもそれだけで気がラクになるわけじゃない。

そして僕は、この気持ちについて、もっと深掘りして考えてみました。

不機嫌な人に対して、どんなことを思っているのか。

怖い? 許せない? 自分もそうなりたい?

自分の感情と丁寧に時間をかけて向き合っていると、1つの強い思いが湧きあがってきました。

やっぱり、不機嫌な人は許せない。

誰にでも気分はあって、調子のいい日もあれば悪い日もあるが、それを前面に出して、他人に我慢を強いるのは絶対におかしい。

機嫌をコントロールできないなら、人に会う資格はない。

正直な思いを書くと、このぐらい嫌悪感があります。

そんな僕だからこそ、不機嫌な人と一緒にいると、ストレスを強く感じてしまうのです。

ただ、今回はそれだけがストレスの原因ではありません。

不機嫌な人に影響されて、自分を変えていることにも怒りがありました。

なぜ嫌いな人のために、自分を抑えつけたり、遠慮をしたり、無愛想になったりしているんだ。

そうやって自分を変えることに、何の意味があるんだ。

僕は、自分自身に対しての怒りと悲しみも感じていて、心が疲れてしまっていたのです。

しかし、日本では空気を読むことは大事だし、できれば円滑にコミュニケーションをとりたい。

今、僕には、2つの選択肢があります。

不機嫌な人に合わせて、自分を変えていく道。

不機嫌な人に合わせずに、自分を貫いていく道。

この2つで悩んだ僕は、後者の選択をとりました。

空気を読み続ける生き方は、そのストレスに耐えられないし、その技術も持ち合わせていない。

でも、不機嫌な人に合わせずにそのままの自分であり続けることは、勇気を出すだけでいい。

怒られても、無視されても、「人の機嫌の世話までは、俺にはできない」と割り切るしかない。

「アイツは空気が読めない」と後ろ指を指されることは怖いけど、自分の能力や性格を加味すると、きっとこの生き方が適切なんだろうなと思います。

ただ、これからも僕は、誰かの不機嫌と対峙することは避けられないでしょう。

結構な数の人が、不機嫌でも許される環境で育っていたり、不機嫌で他人を我慢させることに慣れています。

そのとき、僕が僕のままでいつづけることが、誰にとっても大事なことだと信じて、自分を貫きます。

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