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「才能の有無」は、楽しそうに見えるかどうかで決まる。

「才能」は、人それぞれあると思いますが、「自分の才能が何か」を知るには、他人に聞いてみると的確に把握できます。

これまで僕は、「才能」というのは、“あまり努力しないでできてしまうこと”を指すと思っていました。

みんなが大変な努力をしないといけないなか、最小の努力で成し遂げてしまうことを「才能」と呼んでいました。

基本的に物事の習得に時間がかかる僕は、おそらく才能がなく、結構要領が悪いタイプの人間なんだろうと、勝手に落ち込むことが多かったです。

しかし、最近になって、「才能」と捉え方が少し変わっていきました。

以前、高校の同級生5人に、僕についての作文を書いてもらう機会がありました。5人には、「僕という人間を他人に紹介するときの文章を書いてほしい」という依頼をして、約1時間ほどで文章を書いてもらいました。

すると、その中には、“僕の才能”について言及する一文が数多くみられました。

ほとんどの人が、僕の長所を挙げるときに「人を楽しませる能力」を挙げてくれました。

僕は、昔から企画を考えたり、クイズを考えたり、トークテーマを作ったりして、自分から人を楽しませるために仕掛けることが大好きです。

誰かと遊ぶときは、その空間をテレビ番組と見立てて、自分が考えた企画で周りの人を楽しませることに尽力しています。

それをやり続けたくて、ついには作家になりました。

そんな僕を昔から見てきた彼らが、「人を楽しませる才能がある」と言ってくれたのは、すごく嬉しかったです。

そして、彼らが僕に対して、「才能がある」と言ったのには、理由がありました。

それは、僕が最小の努力で人を楽しませているからではありません。

人を楽しませようとしている僕の姿が、彼らの目には、楽しそうに映っていたからです。

彼らの文章には、「楽しそうにやっているのが良い」「頑張りすぎて心配になるけど、楽しそうだからいいや」といった、一文がありました。

企画、クイズ、トークテーマとは簡単に言っても、実際に思いついて、なおかつ、それが受け入れられるというのは、すごく大変なことです。

しかし、そんな大変なことを自ら引き受けて、自分の寝る時間も削りながらやり遂げようとする僕は、「大変だぁ…」と口で言ってはいても、その行為自体をやめようとはしません。

ちょっと辛くても頑張れる理由なんて、一つしかありません。

結局、そうした方が、楽しいからです。

それが相手にも伝わっているからこそ、「人を楽しませる能力」を才能の一つとして認めてくれたのです。

逆に言えば、結果が出ていたとしても、楽しそうに見えなければ、「才能」とは呼ばれないのです。

自分が楽しくやっていることは、自分が思っている以上に、人に伝わります。

僕はこれから、彼らに認められた才能を大切にしながら、彼らが楽しそうにやっていることを「才能」と名付けて、彼らに自信を恩返しする人生を送っていきます。

面白いと感じてくれた方、よろしければサポートお願いします。純粋に僕が嬉しいだけでなく、もっと量が多く、もっと高品質な作家活動ができます。どうぞ、よろしくお願いします!