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胸を張って偏れる時代だからこそ、偏らない姿勢が必要。

最近は、YouTubeやSNSで、ほとんどのインプットを済ませる人が多くなりました。

それらは、膨大な情報の中から自分で選んでインプットするため、ある程度偏るのは仕方のないことです。

ある程度、幅を広げようとしても、関連動画やあなたへのオススメは、やはり傾向が近いものばかり出てきますし、それによって、自分の気分が良くなります。

それに慣れている人たちは、自分の偏りにすら気がついていない場合も、よくあります。周りのほとんどの人が偏っているのですから、もうそれは、何の異常性もないことになったのかもしれません。

しかし、僕はその姿勢に対して、危険性を感じています。

なぜかというと、自発的に獲得していない情報を、軽んじてしまうからです。

流行しているもの、世間で問題になっていること、自分の生活に関わりがある政治すらも、自分が興味なければ、その情報を軽んじて評価してしまいます。

近年では、「歌ってみた」などの二次創作、刺激的かつ短い言葉で表現されたニュースサイトなど、一次情報からアレンジを加えられたものが溢れまくっていて、その情報だけを得て、理解した気になってしまうケースも多いです。

興味があるものなら、最も深く調べてみようと思いかもしれませんが、興味が薄いもの、あまり楽しげな情報じゃないものなら、元ネタではないものや、たった数文字の情報で、済ませてしまうでしょう。

もちろん、それらの存在が悪いわけではないですが、「それで理解している」と思い込む癖が整えば、簡単に情報弱者になってしまいます。

自分が良い気分になれる情報だけを獲得し続けていると、給付金の申請条件に該当していたのに気がついていなかったり、社会問題の賛否どちらの意見も聞かずに判断していたり、元ネタを見ればハマれたはずなのに「歌ってみた動画」だけで知った気になっていたり…。

自分の知識の範囲が狭くなることは、自分にとっても損だし、誰かとコミュニケーションをとる上で損していることにも、全く気がつかなくなります。

知らない情報を毛嫌いするのではなく、「知らない情報だからこそ、宝があるかもしれない」と思いながら情報を獲得するのも、案外楽しいものです。

知らないものに触れるたび、「世の中にはこんな人がいるのか」、「世の中にはこんな面白いものがあるのか」、「世の人はこんなことを幸せに感じているのか」などと、自然と相手に寄り添う姿勢もできてきます。

自分がどんな気分になるか分からないものにぶつかってみることで、「新しい自分」と「優しい自分」が発見できるはずです。

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