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「ポテンシャルが高い」のは、何もできてないからだ。

「ポテンシャルが高い」と人に言われたら、嬉しい気がします。

なんでもできるような意味合いが含まれていそうで、「自分は能力が高いんだなー!」と自惚れてしまいます。

実際に僕は、学生時代から「ポテンシャルが高い」とたまに言われていて、その度に心の中で多少喜んでいました。

しかし、この歳になっても言われたことで、初めて僕は気がつきました。

―俺は、「ポテンシャルが高い」と言われ続けているだけだ―

ポテンシャルとは、潜在的な能力の可能性。つまり、秘めた能力はありそうだけど、何の能力かはよく分からないということなのです。

これは、「お前は何かできそうで、実際に何もできていない」と言われているようなもので、結構残酷なことなのです(笑)。

学生時代に言われるならまだしも、大人になってからも「ポテンシャルが高い」と言われ続けているというのは、本当に何も成し遂げていない証拠なんだと落ち込んでしまいます(笑)。

自らのポテンシャルを引き出せている人は、もう既に何かしら結果を出して、その能力について褒められています。だからこそ、自分は本当にまだまだだと感じます。

もちろん、「ポテンシャルが高い」という言葉は、誰しもが言われる言葉ではありません。

自分の人生を自分で操作できている人、逆境に打ち勝った人、挑戦的な人生を歩む人など、これからも可能性のありそうな人でないと言われません。

皆と同じ勉強をして、皆と同じ日々を送って、皆と同じ生き方をしている人が言われる言葉ではありません。

だからこそ、こういう意味もあります。

「やればできると思うのに、なんでやらないの?」という期待の意味を込めて、応援している気持ち。

「ポテンシャルが高い」というのは、ライバルに対して言いたい言葉ではありませんし、他人をけなすために言いたい言葉でもありません。

僕は、この言葉の意味をちゃんと受け取って、僕は自分のポテンシャルに見合うような人生を送らなくちゃ、ポテンシャルを無駄にしてしまうかもしれません。

この言葉をかけてくれた人たちは、「ポテンシャルの無駄遣いの可能性」を警告してくれたのでしょう。

今度は、「マルチな才能を発揮してるね!」と言われるように、日々努力していきたいと思います(笑)。

さらば、ポテンシャル人生!

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