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成長しすぎた人は、未知への熱狂がなくなる。

人が生き生きとしていられるときは、未知のことに熱狂しています。

「これからどんなことをしようか」「あの人と何を喋ろうか」「あんなことをするとどうなるのか」など、好奇心にあふれていれば、自分の人生を退屈に思うことはありません。

とはいっても、子どもの頃とは違って、未知の体験が少なくなるのが大人の特徴です。

だからこそ、時間はボーっとしているうちに過ぎていきますし、未知のことにワクワクする感覚も薄れていきます。

むしろ、いつも同じことをしていた方が、誰にも文句を言われにくいし無難なので、退屈ではあっても既知のことをしている方がラクだったりします。

僕も、毎日のように同じことを繰り返していますが、時々退屈さを感じて自分の人生が嫌になってしまう瞬間があります。

僕の場合、毎日何かしら同じものを食べ、毎日noteを書き、毎回同じ友達と会うので、ここ数年は本当に何も変わりません。

「じゃあ、何かを変えなきゃいけないときなのかもしれない」と、何かしら変えようと必死にもがいていました。

しかし、僕にとってベストだと思っていることを変えても、実はあまりワクワクしないですし、単純に楽しみを奪われていくだけです。

自分が好きでやっていることを変えても、楽しくはなりません。

それよりも変えるべきことは、「好きでも嫌いでもないこと」です。

一日過ごしていると、好きでも嫌いでもないことがたくさんあります。

特に、僕の好きでも嫌いでもないことは、買い物や料理です。

生きるために必要な気がするから、すごく気合いを入れてやって、一日が潰れてしまうことがありますが、その日は特に心が動きません。

新しく何かを買いたい物欲もありませんし、広いショッピングモールを歩くのは正直しんどいです。料理も、美味しく作れるレシピを繰り返してご飯をつくっているので、未知のことにワクワクしていません。

逆に、新しいものに出会うワクワクや、いつもとは違った料理を作ることにワクワクすれば、楽しい人生になっていくでしょう。

そこの未知に対する意識を変えたり、そこにかける時間を短くして他のこと時間を使えば、楽しさはやってきます。

かつては僕も、買い物や料理にワクワクしていた時期もあります。

しかし、慣れてしまうことで、ワクワク感から義務になっていたり、未知への好奇心を持てなくなったら面倒なことに変わります。

仕事や娯楽、趣味でも同じことです。何かつまらなくなって退屈になっているということは、未知のことに熱狂していない証拠でしょう。

それは、ある意味、成長しているということでもあります。さらに、一段階上の未知への出発点に立っているのです。

もっともっと未知のことにワクワクしないと、人生がもったいないです。

毎日、未知への熱狂がある生活を送ることこそ、幸せだと思います。

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