ラクをしようとするほど、あなたの道は狭まっていく。
何年か仕事をやっていると、どうしても、ラクなやり方を知ってしまいます。
そのやり方に頼りすぎると、誰かに迷惑がかかるのに、後々自分が困るのに、使ってしまえば自分がラクになるからといって、やむを得ずに使ってしまうことは、誰しもあるでしょう。
ずる賢くて、不親切で、雑で、時には、信用を損なうかもしれなくても、自分がラクをするために、手を伸ばしてしまいます。
もちろん、その人の精神状態や忙しさを考慮すると、そうせざるを得ないこともあると思うので、その時は仕方ないのかもしれませんが、やはり、ラクをしても良い方向に転ばないことがほとんどです。
誰かにラクをしていると見抜かれたら、その人の評価に関わってきますし、ラクの度合いが大きければ、メンバーから外されたり、クビにされることだってあり得ます。
そして何より、ラクをすると、自分自身の道が狭まっていきます。
ラクな道は、常に数が少ないです。多くても、1つか2つでしょう。
その道を進むと決めているから、他の可能性はすべて消し、自分が苦労しないようにすることだけに意識を向けます。
それで、自分の苦労がなくなればいいのですが、実際問題、そこまで現実は簡単ではありません。
ラクな道だと思って選んだのに全然ラクじゃなかったり、ラクをしたので自分の力にならなかったり、ラクな道に固執しすぎているから、もっとラクな道を見つけられなかったり・・・。
ラクな道を選んでしまったがために、かえって自分が苦しめられるのです。
これは、仕事のやり方に限った話ではありません。
職業の選択、結婚相手を選ぶとき、夕飯の食材を買うとき、自分の生き方を決めるときなど、自分の人生への影響度が大きいものから小さいものまで、数多くあるでしょう。
数ある選択肢の前で、「自分がラクしたい」という欲望が出てきたとき、弱い人はそこに進んでしまいます。
その選択が悪いと言うつもりはありませんが、ラクな道には、不自由が付きまといます。
「自分がラクをする」とは、「誰かに依存する」ということです。
依存した相手が主導権を握っていると、何も考えなくていい状態にはなれますが、決してラクではないでしょう。
相手の労働力を定期的にお金で買えるならいいですが、そうでない場合は、相手に自分の人生がすべて左右されてしまいます。
ラクをするというのは、結局は、自分に負荷がかかる行為なのです。
ラクな道を選ぶ前に、一度、自分に問いかけてみましょう。
そのラクな道、かえって自分を苦しめないか?
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