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50歳から始めた葬儀屋

この投稿では占いを行う予定でいたが、過去に占った有名人の話題をしても仕方がないし、「いま面白い話題を・・」とおもっても、なかなかタイムリーに話題がないので、私自身の話になるが、仕事の話を時折、綴っていこうと思う。

表題にも書いたが、私は30代で独立してから続けている、輸入卸売り業のかたわら、50歳を過ぎたころから「葬儀屋」を始めた。

全くのド素人からはじめたが、おかげさまでご依頼もいただけるようになってきた。
昨日もご近所の方からの依頼で、一日葬というお通夜のないお葬式を、市営斎場で施工させて頂いた。

ご依頼いただいたご家族様にはこの場をおかりして心より感謝いたします。

なぜ葬儀屋を・・・

よく聞かれる質問だが、私は、もともと招待されて伺う結婚式よりも呼ばれもしないのに勝手に伺うお葬式の方がしっくりきていた。
ビジネスとして関心をもったのは確か、27歳の時に起こった「阪神淡路大震災」の時だった。わたしは当時、大阪の吹田市にある某ゴルフメーカーに勤務、営業職をしていた。地震発生後の数日間は同僚やお得意先で神戸方面の方々に救援物資を原付バイクで届ける任務を受けた。
目の前に広がる光景は、これまでにも、またその後も見たこともないようなひどい街並み、よくテレビドラマで戦時中の空襲後の様子を再現しているが、当然もっとリアルな光景、尼崎、西宮、神戸という中大都市が地震の直撃を受けるとこうなるのか・・・当時、言葉は出なかったが心の中で感じた。

火葬を待つ人々

当時の夜の報道番組といえば引退された久米宏さんの「ニュースステーション」この番組で連日特集されていたのが、火葬を待つ人々・・・
地震に全部持っていかれて何もなくなって・・・「お葬式も挙げてやれない」「せめて火葬だけでも・・・」と嘆く人々、一方で近隣の町では、亡くなった方々の「盛大なお葬式があげられている」というギャップが取り上げられていた。

 私も実際に救援物資の運搬、あるいは毎日の通勤時に目にしていたのは、大阪方面から神戸方面に向かう葬儀屋のトラックだった。トラックにはいっぱいの樒や花環が載せられていた。事情は詳しくわからないが他府県ナンバーのそうしたトラックの多さに連日、「火葬だけでも・・・という人たちは後回しにして立派なお葬式だけ応援するんやなあ」と感じた。

会社辞めて葬儀屋やろか

この時にこう思った動機は「困っている人を優先的に助ける業者に・・・」
などというわけではないのだが、「こんな分かりやすい連中がたくさんおって通用する業界ってどんなんや?」
というのが正直な気持ちだった。
もし自分がやるんやったら「コンビニくらいの建物で出来たらええなあ」とうすうす考えていた。

誰でもできる仕事じゃない

このころに一度、「葬儀屋ってどんな仕事や」と思って、知り合いに葬儀屋がいるという友人に聞いてみた。回答は「葬儀屋なんか誰でもできる仕事とちゃうで・・・」ということだった。
今考えてみると、確かにそうで、知識などノウハウ、会館などの場所、機材・道具など確かに一からやるとなると大変・・・
たしかにそれもあるのだが、友人の彼が「うまく言えないが・・・」みたいなニュアンスで言ったのが、ちょっと職業差別的な話だった。

「なるほど・・・」
続く



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