中国人のマンパワー
私が初めて中国を訪れてから36年が経過した。
表題の写真、これから文中に差し込む写真も36年前の写真を使わせて頂く
最初に中国を訪問したときの「中国に胸焦がされる」強いインパクトを受けて以来、ビジネスを含めて20回以上訪中している。
「胸焦がされる」という言い方をしたが、自分でもよくわからないイメージなのだ。一緒に訪中した仲間にそういう人間は誰一人としていなかった。
底知れぬパワー
私が好きな中国は、北京・上海の高層ビル群でもなければ、桂林や西湖の景勝地でもない。
そのものずばり「中国人のパワー」である。
なぜか時々、ふと中国へ行きたくなってしまう。
自営業の私は、仕事にかこつけて(実際に仕事もするが)最近では、杭州・広州・上海などへ行ってしまう。
現地では、仕事以外でとくにどこに行くわけでもなく、一人ぶらぶら市場や公園、ショッピングモールなどを歩いては中国人の動向を見て楽しんでいる。
たとえば市内のコンビニエンスストアなどでは、レジの机で店員が昼飯を食っている。市場でも同じだ。朝10時ごろ訪れても店内のどこかで誰かは食べている。
店内で、思い切り飯のにおいをさせながら食っている。
時折訪れる客に店内の商品について聞かれるときなど、飯を邪魔された彼は思い切り不機嫌に応対する。
何を言っているかはわからないが、こういうところがなんとも言えず、魅力に感じてしまう。
こんな人間らしい魅力を肌で感じながら、毎回パワーをもらって帰ってきている。
恐らく誰もがそうとは言えないだろうが、あくまでも「私の場合は」であるが・・・
圧倒的個人主義
政治的な話はあまりここでは差し控えるが、中国といえば「共産党の独裁で市民にはあまり自由がない」というイメージを受けるが、実際に現地に行って分かるのは、あの人たちは、圧倒的に個人の価値観で自由に生きているイメージを受ける。
日本人は「集団的」かつ「組織的」である。
例えば、「規則や号令に従う」「規格外を嫌う」(変わったことをしない)
従って、政治や役所、テレビ局こういったものに対して批判的である反面、関心も高い。
オリンピックをするのか、しないのか?
観客を入れるか、入れないか?
酒の提供は何時まで・・・
など、関心事の多くは規則や規律に関連するものが多い。
いっぽう中国は仮に、次のオリンピック前に同様なことになっていても
あの人たちは、そんなことはどうでもよく、多分、飯の心配の方が大切と考えると思う。
たとえば、規律や規則ができた場合、日本人は「守る」ことを前提に話は進むが、
多分、中国人は「ごまかす方法」をそれぞれ考えるので、ことを大きくしたがらない。できるだけ静かにやってしまう。
15億人が、だ・・・
だから、いざとなると徹底的にロックダウンされてしまうのだが・・・
逞しい生命力
こういう事件があった。
中国のとある田舎町、ここは有名なマジシャンの生誕地で
これを商売に活かそうと、地元の商売人はこぞって「手品グッズ店」を開いた。例によって計画性がなく、みんなが同じような店を作る。
それでも全盛期には、外国からも多くの観光客が集まったそうだが、ブームが去り、閑古鳥が鳴きだした。
ここからの彼らの巻き返しが凄い。
黙って指をくわえていないところが中国人の凄さ
各店主は「頭を剃り」手品道具をもって全国に飛び散った。
観衆を集めたうえで「(偽物の)刀で腕を切っても血が出ない」
「修行の賜物」といって観衆から大量のお布施を集める。
挙句の果てには、東京浅草にまで遠征
日本のメディアにも取り上げられた
「偽僧侶事件」
メディアではとんでもない詐欺集団として取り上げていたが、
わたしとしては、事件そのものは決して褒められたものではないが、
中国人と日本人の特性を表した象徴的な出来事ではないかと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?