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【他者の靴を履く】 読書#133(続き)

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、なんて表現したらいいんだろう。
深くて広くてわからないが、とてつもなく勉強になりました。

ヘッダーは、優谷美和(ゆうたにみわ)さんの作品を使わせていただきました! いつもありがとうございます!!


目次


基本情報

ブレイディみかこ (著)
文藝春秋 出版
2021年6月30日 第1刷発行

全302ページ
読書所要期間 10日

本書も、バリューブックスさんで購入しました!

私が本書に出会うきっかけ

これについては、前回と同様であるため省略する。

私が思う、この本の本質

ここも、前回と同様である。

私が感じたこと 〜続き

逆にコロナが近くした人とのつながり

コロナは、確かに人と人との距離を遠ざけた。
学校は休み、職場も限定的に。
外食はかろうじてできたとしても、4人までで基本飲み会は×。

外で誰かと共に同じ時を同じ場所で過ごすということが、家族を除いてすっかり少なくなった。
家族と向き合うことができる時間が増えたことを歓迎し、実際に良い方向に進むことができた方も大勢いらっしゃることだろう。
それは大変に素晴らしいことだ。

その一方でやはり当時の世論的には、
「人々の交流が遠ざかって寂しい」
「人々の交流が希薄になった」

といいう考え方が多く報道されたり、SNS上でコメントされていたような気がする。

しかし、本書第7章辺りで感じたことは、逆に人と人とのつながりを客観視することができた期間だったということだ。
つまり、逆説的に
・人と人とのつながりがいかに重要かということ
・つながりがなければ生きられないということ
再確認できた期間だったという意味で、つながりが強くなったと言えるのではないかと思った。

「私はあの時、あの場所で、あの人に会った。」

「今私が発熱したら、あの時は2日前だから、あの人に連絡しなければ。あの人はセーフ、あの人は・・・」

行動が制限されていたとはいえ、意外に様々な人と関わっている自分に気づく。

あるいは予防的に、
「あの人には合わないようにしよう。」
「あの場所は、リスクが高そうだ。」

結局それも、自分や他人のことを考えて色々行動していたということだ。
そうした時を経て、今自分たちは何を学んだのか?

・人は、一人では生きていけないという事実
・人と繋がることの尊さ
・みんなで過ごすことの楽しさ
などなど、様々あったことだろうと思う。

これらはつまり、物理的に人から離れることで客観的に自分と他人の関係性を見つめ直すことができた結果生まれたこと、再認識できたことではないだろうか。

多くの人々の命が奪われ、多くの人々を苦しめたコロナ。
しかしこれは、必ずしもムダではなかったのだと思いたい。
今を生きている私たちが、しっかりと前を向いていかなければ、つまり、他者の靴を履けるようにならなければならないように感じる。

他者に「迷惑をかける」という呪縛?

これも第7章から。
『煩わせ、繋がる』という章の中の『迷惑をかける』というチャプター。

ここが私の中で最も共感した部分であり、この本を象徴する部分ではないかと考えている。
これについては、ぜひ目の当たりにしていただきただき、皆さんのお考えをめぐらせていただきたいところである。

私は少し前まで、自分の子どもたちに育ってほしい方向性、つまり、
「どんな大人になって欲しいか?」
的な質問に対し
「他人に迷惑をかけない人」
と答えていた。

しかしなぜかずっと違和感を持ちながらとりあえず答えていたと思う。
その違和感は次第に大きくなり、そう答えるのを止めた。

本書を読んで、その違和感がなんだったのかを少し理解できた気がしている。
そして、さらにそこから私なりに考えた今の段階での結論/仮説は、どんな人になって欲しいか?という問いに対して、
「他人の幸せ ”も” 、素直に承認できる人」

ここに辿り着かせてくれたのは、著者のお陰であることは言うまでもないのだが、もう一人私にとって大きな存在が苫野一徳さんだ。
同氏の著書はいくつか読んでいるが、最も直球で関連すると考えるのはこちら↓↓

著者と苫野氏の考えと私の考えがマージして、今はこの段階にある。
私に様々な気づきを与えてくれたお二人に、本当に感謝したい。

むすびに(まとめ)

『エンパシー』とは一体なんなのか?

著者の考えを明らかにし、それを読者が受け取って、これを探究するということが本書の本質だと考えている。

冒頭を少し読んだ段階で、私はある仮説を持った。
本書は、

  • エンパシーとは、ポスト民主主義的なこと提唱するものなのか?

  • エンパシーとは、『自由の相互承認』とそれをベースとした『対話』の先に生まれる感情なのか?

と。

しかしそれは、良い意味で私の仮説は外れたと言っていい。
というか、そもそも私の仮説など本当に大したものではないということを再認識したw

エンパシーとは、

  • 民主主義の真の実現のために必要な各個人の心持ち

  • 対話の先にエンパシーが生じるのではなく、その対話を始めるための必須要素

ではないだろうかと私は捉えている。

私は先ほど「他人の幸せ ”も” 、素直に承認できる人」に子どもたちがなって欲しいと願っているということを書いた。
”も” が大変重要だと考えている。

他者の靴を履きすぎて、結果として自分の靴となってはいけないと私は思う。
私の靴も、他者の靴もどちらも履くことができるのが重要であり、どちらも大切にすることが、自分と他者の双方の幸せに近づくものと考ていきたい。

そこで新たな問いが生まれる。
「では、片方が自分の靴で、片方が他者の靴みたいなことができ得るのか?」

この問いは、これからの私の課題であり、探究の始まりだ。


2回にわたってお届けさせていただきました。
これほどまでに自分の考えが浮かぶこと、感じたことが多いことは今のところ数少ないと思います。
本当に素晴らしい時間でした。

もう一つ珍しいことと言えば、本書の装丁です。
新書の方を購入したのですが、お手紙を便箋でいただいたような手間暇、あたたかさを感じます。
こうした小さなこだわりに、感動すら覚えます。

ぜひご覧になってみてください!

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

もしサポートしていただけるならば、現在投稿の軸にしている本の購入やパピーウォーキングにかかる経費に充てさせていただきたいと考えています。