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【昭和二十年夏、子供たちが見た日本】 書評#113

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、前回に続き戦争についてです。
昭和20年当時子どもだった方の、リアルな体験記です。

ヘッダーは、Yosikatu Harukiさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

梯 久美子(著)
角川書店 出版
2011年7月10日 第1刷発行

全314ページ
読書所要期間12日

私が本書に出会うきっかけ

著者は、私の友人のおばさんにあたる方だ。
その友人の父のきょうだいだったか、親同士がきょうだいだったか、それくらいの距離感であったと記憶している。

昔から、よくその友人からお名前は聞いていた。
記憶に残っていた。

色々戦争にまつわる本を探していたところ、お名前が出てきた。
これは運命的な出会いだと思い、直ちに購入した!

私が思う、この本の本質

本書は、10名の各界で活躍する(した)著名な方々へ著者が取材した内容をまとめるといった構成になっている。
その10名の方々の記憶を現代に生々しくリアルに伝えようと試みている。

同じような時代を、一見同じように過ごしているように現代から見れば感じる。
というか、少なくとも”私は”そう感じている。

なぜ、私はそう感じるのか?

それはやはり、個人・個性を抑圧され、封印され、「一億一心」(いちおくいっしん)なるあり得ない考え方がまかり通る時代において、みんな似たような人生を歩まざるを得ない状況下にあったのだろうと勝手に想像しているからである。

しかし、その10名が見た世界は、様々であった。
その世界は、当時の彼ら彼女ら「子ども」が見たものだったからなのか?

いや、それは必ずしもそうではないだろう。
一人の人間として、全力で、全身で記憶した重要知的文化財だ。

お分かりの通り、タイトルにある「子供」とはすなわち、当時”子ども”が
・何を見て、
・何を想い、
・どう生きたのか
がまとめられているものである。

私が感じたこと

1点目 〜児玉清さん「やっぱり輝いて見えてしまう。」

児玉さんをご存知の方は多いだろう。
すでにお亡くなりになっているが、長寿番組を長年支え、そして、私にとっては大好きなテレビドラマ・映画シリーズに出ている方という印象が強烈である。

軍国少年だったという児玉少年も、やはり敵対する諸外国に対し、「鬼畜米英」という感情を持っていたそうである。
無理もないことである。

しかし、いざ戦争が終わり、日本へ進駐してくる米軍の人々の姿を見て思ったことが、この言葉だそう。

憧れのジープに乗り、颯爽と、そして圧倒的な存在感を放つ彼らを、児玉少年はそう捉えていた。
いやむしろ、多くの子どもたち、いや子どもたちだけでなく大人たちも、そうだった様である。

国同士の対立という戦争のみならず、私たちの日常レベルに照らせば、組織同士、部署同士、あるいは宗教同士、隣人同士などなど、様々な場面で対立は起こっている。
これはつまり、「仲間意識」が欠如するために起こるのではないかと私は捉えている。

この児玉少年の感情は、やはり「鬼畜」と思っていた人も実は同じ人間なのだ、しかも、カッコいいしやさしい、そういった姿を目の当たりにしたから、つまり、同じ人間として仲間意識が芽生えたから、ということではないだろうか。

戦争の最前戦では、膠着した状態にある敵同士がプレゼントなどを贈り合う、厳密に言えば、投げ込み合うということだろうか、そういったことが行われていた所もあったと、色々な本で見かける。

とするならば、その場面では「仲間意識」というものがありながらも、全体の構造の中では戦わなければならない、そういう命令が下ってしまうということもあるということだから、「仲間意識」が全てを解決するという簡単な構図ではないとしても、一人の人間として、一人の人間を尊重するという心の持ち様の一つの形態が「仲間意識」なのだと感じた。

2点目 〜それぞれの玉音放送

10名中9名位の方が、玉音放送について触れられていたと思う。
ある種、同じ方(昭和天皇)がお話しされた、同じ内容を聞いているのだが、様々な場所で、様々な印象を持って聞いていた様である。

ある方は国外で、ある方は国内で。
国内であっても、東京で、あるいは疎開先で。

「何を言っているかわからなかったが、大人たちは膝をつき、泣き崩れている。」
みんなで近所の家に集まってラジオを聞いたり、公共施設に集まるように促されて、大人も子どもも皆で向かったという。

「負けると思っていなかった」

当時の日本人の多くの方の感覚がこれだったと、本書から伝わる。
それもそのはずである。
父が、兄が、親戚が、そして多くの日本人が命を賭して、自国民のためにと戦地に赴いた。
負けると思いたい人など、命を落とした方々の存在意義を否定することになるのだから、いるはずがないというか、そう信じるしかなかっただろうと思う。

一方で、現在社会を生きる私たちは、考えなければならない。
戦争にそもそも『勝ち負けなどあるのか?』ということを。

始めた段階で、誰にも勝ちなんてないのではないだろうか。
それで儲ける国、儲ける人が出たとして、それは果たして勝ちなのか。
それで政治的優位に立てたとして、それは果たして勝ちなのか。

人の命を物のように消費して、何が勝ちなのか。

私は、これを忘れてはならないと思う。
命を賭した先人のためにも。

むすびに

これも小玉さんパートの話にはなってしまうが、その他の方々にも、似たようなシチュエーションが描写されていた。

「これからは、君たちが自分の夢を追うことのできる時代が来るよ」

玉音放送を聞いた後、学校の先生が、茫然自失する小玉少年たちへかけた言葉だという。

これだけ思考までも統制される世の中において、直後にこの言葉がサッと出てくるものだろうか。
常日頃、子供たちを想い、思考を続けていたとした考えられない。

私は、その立場でそういったことを言える人間だろうか?
そう言える人間になりたい。
心からそう思う。

「この戦争は、負ける。」

子どもたちにそのように言う父や学校の先生の描写も、本書の中でかなりあった。
当時子どもだったからこそ、大人のこうした率直な言葉を聞くことができたのかもしれない。
大人同時、一般人同士の監視社会の中で、どれだけ信頼していようとも、とてもじゃなけど言える言葉ではない。

しっかりと意思を持ち、それを伝え、先を見据える。

このことの重要性と、そういった考え方を持っていいんだということが、先の小玉少年の先生が伝えたかった ”夢” なのかもしれない。


以上です。

当時の子どもたちが、今こうして立派な大人となり、現代社会へその当時の記憶を伝える。
当時子どもだったからこそ、弱い立場にあったからこそ、見えていたものがあったのだと感じます。

この辺に、改めて”子どもの凄さ”みたいなものを感じずにはいられません。

最後になりましたが、命を落とした多くの先人たちに、心から哀悼の意を表します。
本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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