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【論語】 書評#117

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、論語・孔子です。
論語関係は、何回目だろ??

ヘッダーは、今井雄二さんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!


目次


基本情報

金谷 治(著)
岩波書店 出版
1963年7月16日 第1刷発行

全406ページ
読書所要期間ー日(現在進行形)

私が本書に出会うきっかけ

私の読書人生における論語との出会いは、かなり古いと言える。
もう何度も、あらゆる方々が書く・考える論語についてのものを読んできた。
私はこれまで、
・何か心に引っ掛かるもの
・大きな疑問やストレスにぶち当たったとき
になぜか読んできた。
今回読もうとしたキッカケも、明確なものがある。

それについての言及は避けるが、人の心は変えら得れない。
変われるのは、自分しかいない。
つまり、
物事の受け取りを自分自身が変えられるように、先人たちの知恵をお借りする」
というのが、論語を読む一つの大きな理由である。

ちなみにもう一つの理由は、仕事に関わる姿勢・考え方についてである。
「世の中や、そこに所属する人々とどう関わっていくのか?」
をとてつもなく高い視座で教えてくれるのである。

私が思う、この本の本質

「論語」と聞いて、皆さんは何を連想するだろうか?
本書の言葉を借りれば、「古臭い道徳主義」と思う方も多いのではないだろうか。
私のこれまで見聞きしてきた感覚としては、
「古き悪き、かつての封建制度的文化を構築した原典」
あるいは、
「衰退した古い宗教の原典」
という見方もあるかもしれない。

しかし私は、〈出会い〉でも書いたように、自分自身を見つめ直すものとして捉えている。
つまり、人の道に迷ったときに読むもの、「人生の道しるべ」としているのである。

私の大好きな『コテンラジオ』でもよく話題となるが、過去に起きた出来事や人々の思いから学ぶこと、そして、それを今に活かすことは、とてつもなく価値が大きい。
とりわけ論語は、だからこそ2千年以上経った今もなお読み続けられている・研究され続けているのだと思う。
著者も、その点を指摘している。

本書”はしがき”に、「味わい方」が記されている。

  • もともと論語は、20篇のバラバラな短い言葉の集まりであるから、気ままに読みたいところを拾い読みして欲しい。

  • そしてさらに、少し時間ができたならば、通読して孔子の人間像・考え方を味わって欲しい。

ということである。

私が感じたこと

大好きな部分 〜為政第二

これは今回感じたことというよりは、もともと思っていることであるが、私はこの「為政」というパートが大好きである。
論語には、大きく20のまとまり・パートがあり、章みたいなものを構成しており、その2番目がこれに当たる。

好きな理由は、
①私に論語を認識させた「我十有五にして学に志す」、
②「温故知新」の語源となったもの、
③そして、「義を見て為さざるは勇なきなり」

が入っている部分だからだ。

①我十有五にして学に志す

これは、まさに私の人生の道しるべである。
私は、これに達しているのか、節目節目で振り返っていると言える。

間も無く40歳を迎える。
『不惑』の年である。
つまり、あれこれ戸惑わなくなる年齢ということだが、これはなかなか難しい。

私はもともとこの句を拡大解釈して捉えている。
40歳代でなんとか『不惑』を目指そうという考え方だ。

40歳ではなく、40歳”代”でw

少しずつ私としての人生の軸みたいなものが見えつつあるが、まだまだこれからである。

②温故知新

これは、
「古いことに習熟して、さらに新しいこともしっかりとわきまえていく」
という意味だと理解している。

これには続きがあり、「以て師と為るべし」とある。
つまり、そうすれば師となることができるとしている。

私は、誰かの師となりたい訳では全くない。
しかし、古いことにも新しいことにも、しっかりとわきまえをもってコトに当たりたいと考えている。
どちらか一方に偏ることは、避けたいということである。

自己紹介でも「温故知新」を使わせてもらっている。
厳密に言えば、マガジンのタイトルとして用いている。

既存の仕組みをしっかり主体性を持って活用すれば、必ずや息を吹き返し、より良いものにできると信じている。
そうした願いを込めて付けた。

③義を見て為さざるは勇なきなり

これは、
「行うべきことが前にあっても何もしないのは、臆病である」
という意味と理解している。
もともと私は、上杉鷹山や武田信玄などが言っている「為せば為る」という考え方が好きだった。

どっちが先に好きだったか、厳密には不明だがw
時代的には圧倒的に論語の方が先だが、果たして私はどちらを先に知ったのか?笑

いずれにせよ、これが私の今の考え方のベースとなっている。

むすびに(まとめ)

〈本質〉のところで、いつもより少し長く、とりとめもなく書いてしまったので、最後にまとめてむすびとしたい。

・論語は、おそらく宗教ではない
政治学や道徳である、つまり”暮らし”学だと、私は考えている。
・当然に、2千年以上前のものであるから、現代社会の暮らしと乖離している部分は多々ある。
・しかし、今もなお通ずる部分、何か自分の心に感じる部分があるとすれば、それはこれからも大切にしたい考え方
・仮に現代に通じないと思ったとしても、「なぜそう思うのか」を深めることで、真理が自分なりに見えてくるものがある。
・それが自分の人生を見つめ直すということであるから、「道しるべ」と思っている。

以上、個人の感想ですが、孔子やその弟子たちの考え方から自分を照らし合わせて振り返り、明日へのバージョンアップに繋げる。

これが、この本(論語)の素晴らしいところである。
そしてそれを日本語に変換し、わかりやすく伝えてくれる本書著者をはじめとする学者の皆様に敬意を表したい。


以上です。

20パートあるうちの第2パートで1回分としました。
現在進行形で読み進めていますので、今後また書きたいことが出てくれば、再び登場するかもしれません。
どうかご容赦をw

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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