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プロモデラーの師匠と情けない俺の話 第六話〜田舎町の師匠がプロモデラーになれたきっかけ〜

どうして師匠は田舎町にいながらにしてバンダイから仕事を依頼されるようなプロモデラーになれたのか?

1990年から2003年まで宇都宮駅前にロビンソン百貨店が存在していた。今はその跡地にトナリエという駅前ショッピングモールが入っていてその中のヨドバシカメラ宇都宮店の模型コーナにはしばしば足を運んでいる。当時のロビンソン百貨店は、宇都宮市の近隣の田舎町に住んでいるものとしては衝撃的だった。地元の百貨店は、2階建てしかなくショッピングモールもない時代に10階建て以上の大きさで映画館まで入っている。クリスマスや正月など特別な時に連れてってもらえる特別な場所だった。今でも小学生2年生の終業式のあと頼み込んでガンダムF91の映画を観に連れてってもらったことが印象深い。
おぼろげながらに覚えているのは5階は全ておもちゃコーナーで夢のような場所、そして7階に模型専門店がありガレージキットまで売っていてショーケースにはプラモデルからガレージキットまで店員さんの作例が飾ってあった。ホビージャパンや電撃ホビーの誌面でしか見たことのないようなプロ並みの完成品の数々、どうやったらこんな上手に素晴らしいものが作れるんだと目を輝かせて見ていたことを久しぶりに思い出した。

当時師匠は28歳、正社員だったかアルバイトだったか聞きそびれてしまったがこのロビンソン百貨店7階の模型専門店で働いていた。当時の師匠と当時の俺は店員と買い物に来た子供という関係で会っていたかもしれないと思うと少しだけエモい。ショーケースに飾ってあるカッコいいプラモデルの完成品の中に師匠が作ったものもあった。

そんなある日、師匠はお客様に声をかけられ
お客様「このプラモデルを作製したのはあなたですか?」
師匠「はい、そうです。」
お客様「なかなか上手ですね、良かったら仕事としてやってみませんか?私はこーゆーものです。」

差し出された名刺にはバンダイの文字が!なんと、たまたまその模型専門店に立ち寄ったバンダイの社員にスカウトされたのがきっかけだったのだ。アイドルや芸能人のスカウトは聞いたことはあるがプロモデラーのスカウトなんて聞いたことがない。それも田舎の百貨店でだなんて嘘みたいな話である。

もともとガンダムやプラモデルが特別好きというわけではなく仕事として模型専門店に務めて完成品を作っただけなので師匠にとっては夢がかなったとか好きな事を仕事に出来た!とかそんな感情は無く声をかけてもらったのでとりあえず頑張ってみます!というスタートだったらしい。

やり始めると負けず嫌いの性格が功を奏し我流で様々な修行をしてトップモデラーにまで上り詰めたのである。

自称日本一の根拠を聞いたことがある。

師匠「模型一本でここまで飯食えてるのは多分俺だけだと思う!TVチャンピオンの出場依頼も忙し過ぎて断ってきてるからね!だから俺は日本一!」

みたいなことを言っていた。
俺の中では永久欠番で師匠がずっとガンプラ日本一なのだ。

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