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2020年コロナの旅 3日目:タイマッサージ、鴨飯、暁の塔

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2019/12/19

世界旅行三日目の朝。バンコク。軽く身支度をして、前日と同じカオマンガイ屋に行って腹ごしらえの後、アイに勧められた寺院の一つ「ワット=ポー」を訪れた。ワット=ポーは巨大な黄金の涅槃仏タイマッサージで有名な寺院である。ラーマ3世という王によって王朝の医学府とされた当山は豪奢な大寺院であり、境内に無数のヨガ行者の像があったのが印象的であった。

調べてみると、タイマッサージには「支援付きヨガ」の異名もあるらしい。ヨガによって到達しうる心身の境地に至る補助をマッサージ師が施すという発想か。

境内には王立のタイ古式マッサージ学院の出張所があり、タイ国最高の施術が受けられるということであった。30分で320バーツ(1000円ほど)と、タイの物価を考慮するとかなり高い料金設定のように思われたが、いくら安くともカオサンのいかがわしいマッサージ店には行きたくない

店内に入ってみると、中は世界中からの観光客だけでなく地元の人らしき人たちも混ざって寿司詰め状態であった。

受付に行くと、人が多いので出直せという。どれくらい待ちそうか問うと1時間程度というので待たせてもらうことにした。せっかくここまで来たのだから1時間程度どうということはない。それにまだ涅槃仏も見ていないので、外を散策して戻ってくればちょうどよいだろう。

45番の整理券をもらって再び外に出ると炎天である。しばらく広大な境内でさまよった後、涅槃仏を擁するお堂に辿り着く。拝観料は200バーツ(700円ほど)で、タイの全般的な物価を考慮すると高価な印象である。ここもタイ国民は無料だった。中に入ると、巨大な黄金の仏像が頭をこちらにして寝転がっている。

日本では涅槃のお姿を像にすることは殆どないが、タイではそれなりにあることのようだ。黄金がきれいに保存されているのも、ともすれば塗装が剥げているのを良しとする風潮のある日本の仏像とは異なる趣を醸し出している。私が住んでいる京都の清水寺の近くに、東日本大震災の津波を生き残った木から寄木で作られた阿弥陀仏像がある。これは近年できたものにもかかわらず、「古色仕上げ」と称して経年変化が人為的に再現され、わざわざ金箔も部分的に剥がしてある。むしろ部分的にしか残っていないと言ってもよい。如来には三十二相八十種好といって人間離れした身体的特徴があり、五体が黄金に輝くというのもそのうちの一つである。

従ってタイの仏像の方が本物の姿に近いと言えるのかもしれない。日本の仏像はかなり作家性が強い印象がある。どちらにせよ身長45メートルを超える本像は必ずしも仏典に基づいて作られたものとは言い難いのかもしれないが。

その巨大なお堂はこれもまた巨大な仏像で満たされており、参拝客はその周りを一方通行で周るようになっている。仏さんの前面を通り、足元まで行く。足の裏には見事な千幅輪相が螺鈿を用いて描かれていた。

また、その独特な指紋も美的に表現されており見ごたえがある。一通り写真を撮ったりして今度は背後に回る。ここでは手のひらサイズのボウルに一杯の硬貨を20バーツで購入できるようになっており、その硬貨を回廊に設置された無数の甕に入れていくたびに功徳が積まれていくということらしい。

コインを瓶に入れる参拝客たち

使いまわされた硬貨をあまり触りたくなかったので私は遠慮して仏像鑑賞に努めることにした。なぜか後頭部に惹かれたので一緒に自撮りを撮ったところで1周が終わり、入口の所へ戻ってきた。また炎天の中へ。

拝観券に水の引換券がついているのに気が付き、水の配給所を探す。簡易テントがあり、そこで小さなペットボトルの水を配っていた。愛想のいい日焼けしたおじさんから水を受け取り、マッサージまでしばらく境内にあった小さな林で涼むことにした。

林と言っても人工的で、ヨガ像や人工的な石、ベンチなどが配置してある妙な空間であった。真ん中にスピーカーが設置してあり、しきりに大音声で何か言っていた。炎天下に晒されるよりはましであったが、快適な空間とも言い難かった。そうこうしているうちに予約の時間が近づいてきたのでマッサージ処の建物の中で待つことにした。戻ってみると相変わらず客でごった返している。やたらと咳き込む人がいてそれだけが不快であったが、先ほどの林よりは随分ましだ。直に45番が呼び出され、私の番が来た。

痩せた中年の男性マッサージ師にいざなわれベッドに横たわる。思えばマッサージを受けるのは初めてで頓(とみ)に緊張してきた。特に更衣などは求められない。うつ伏せに寝るよう指示される。固い枕に驚いたが、不思議と首に苦しさなどはなかった。四肢を様々な方向からベッドに押し付けたり、手足を指圧したり、今まで素人から受けてきたマッサージとは一線を画す体験であった。特に、圧迫が気持ちが良いというのは新鮮な発見で、今後人に試す機会があればやってみたいと思った。途中くすぐったさに笑いをこらえるのに苦労した時間を除けば、あっという間に30分の施術が終わってしまった。

多少さっぱりした気分で再び燃え盛る太陽のもとに身を曝す。まだ日は高い。グーグルマップスを開き、ピン付けをしておいたアイのおすすめの観光名所から手ごろそうなのを選んで行ってみることにした。



ワットアルンというその寺院はアイ曰くその高塔で有名だとか。またその塔に一般の参拝客も上れるらしく、バンコク市域の景色を一望するのに絶好の穴場とのことであった。バンコクはチャオプラヤ川という大河によって二分されているが、ワットアルンに行くにはワットポーのある地域からは川を南西にわたる必要がある。橋はあまり多くないが、代わりに渡し船が出ている。4バーツなので13円程度。惜しむほどの出費ではない。渡し場に行くと、カタカナでも「ワットアルン」と書いており、日本人観光客の多さを感じさせる。

ひどいにおいの排気ガスを吐き出しながら渡し舟が船着き場に到着し、私も他の乗客と同様ペンギンのようによちよち乗船する。ほどなくして船は出発。何のことはない、5分程度の船旅だが、大河によって開けた視界の向こうの河岸に所狭しと並ぶ建物を眺めると人々の営為を感じて呑まれる思いがした。

ワットアルンは向かい岸の船着き場から直接入場できるようになっている。寺院の周辺には果物やおもしろTシャツなどの土産物を売る店がいくつかあり、また植木が多くあるため水辺の風情と相まってビーチに来たような感覚を覚えた。そのような空間にあってその寺院は大いに異彩を放っていた。まず目に入るのは屋根が何重にも重なった豪奢な本堂。

タイの寺院建築に特徴的と思われる白と緑とオレンジの組み合わせは非常に目に心地よい。緑とオレンジは日本でいえば「青丹良し」の神社的であり、白い漆喰の多用は仏閣的である。その組み合わせはにはなんとも異国情緒があり、心躍らされる。チケットを購入して境内に入ると、件の高塔の全容が現れた。それは息をのむような美しい建築であった。

富士山のように裾野の広いその塔はタイの蒼天高く聳え立ち、白い漆喰の壁面には無数の極彩色の陶片が埋め込まれている。迦楼羅やハヌマーンによって支えられたその塔はまた、鮮やかな花や植物の鏝絵で彩られており、実際に花々生い茂るタイの自然環境もあいまって極楽の建築という印象を与えられ、また自分も温暖な空気と花々に囲まれて美麗な建築と溶け合い、極楽にいるような感覚を覚えた。
近づいてみるとますます巨大な建物で、非常に幅の広い会談には多くの観光客が腰かけて写真を撮ったりして各々楽しんでいる。接近すればするほど、この塔の規則的に、幾何学的に並ぶフラクタル的集合体の趣に気が付く。陶片だけでなく、私が大好きなタカラガイ等も埋められていてうっとりしてしまう。まるで真っ白のキャンバスの上に宝箱をぶちまけたような純朴な華やかさと、構造の理知的なまでの端正さの対比はどこまでも好ましい。塔の美しさに惚れ惚れしつつも、待ちの眺望を求めて上へ登っていく。残念ながらロープが張られて一番上までは登れないようになっており、バンコクの街を見下ろすには至らなかったが、今まで見てきた中でも指折りの美しい仏塔との出会いに感謝したい。

漆喰に埋め込まれた陶器や貝殻


ワットアルンは「暁の寺」という意味らしい。暁のころチャオプラヤ川の対岸から見ればさぞかし美しいことだろう。私が当山を去ったときにはすでに午後4時ごろであった。とはいえタイでは昼下がりの情景が浮かび上がってくるにはまだ時間がある。少し散歩をして、アイお勧めの鴨飯屋に行ってみることとした。

鴨飯屋は意外にも宿からほど近いところにあった。2軒隣り合わせにタイの鴨飯の起源とされる名店が並ぶ。どうせ両方とも訪れようと高をくくって特に迷いもせず手前のNan fahという店に入る。小さな円卓が並ぶ店内に入り、記憶が正しければ120バーツほどだったか、鴨飯を注文。まもなく運ばれてきた鴨飯はカオマンガイとは異なりキュウリなどの彩どりはなく、ご飯の上に鴨肉のローストが乗っただけのシンプルなものであった。

とろみのある「あん」のようなたれがかかっているのとは別に、小鉢にさらっとしたソースも供された。肉は非常に柔らかく、少し鴨肉特有のザラつきがあったのと、過日の豚肉飯の時と同様かなり甘いたれには抵抗があったものの、肉の下味は非常によく、全体としてはとても満足のいく内容であった。タイの食事はあまり量が多すぎない印象がある。まだお腹は満たされていない。隣の鴨飯も食べてみよう。

お金を払って店を出てすぐさま隣の店に入る。手ごろな価格なのでこのような食べ方をしても日本で外食するより余程安い。隣の店はThepprasitt Roast Duckという名前らしかった。こちらの鴨飯は先ほどよりもわずかに高く、150バーツであった。日本円にして500円弱か。こちらも待つことなく提供される。nan fahとは異なり、ご飯の上に鴨が乗っているほか、サイドに青梗菜か何かの炒め物が添えてあり好印象。

先ほど同様、たれが既に絡めてあるのとは別に、卓上に備え付けで複数のソース類とスパイスが置いてある。こちらの鴨飯の方が味付けが甘過ぎなかったのと、卓上のナンプラーで塩気を足すことができたので私好みではあった。

一度宿に戻り、夕方からはSNSで知り合ったタイ人の女性と会うことにした。カオサンロードの近くの図書館を待ち合わせ場所に指定されたので歩いて向かう。ごくモダンで清潔な館内は凍えるほど冷房が効いている。ほどなくして現れた女性は、たいへん愛想の良い人であった。お互い礼儀正しく挨拶を交わすと、彼女は贈り物があると言って私に絵とメッセージの入った色紙を渡した。その絵は私の似顔絵であり、メッセージは「泰日友好」というようなもので、その純真さとヘヴィさに驚かされた。それに加えて私がタイ語を話せないせいでコミュニケーションが円滑に行かない。しかしながら折角待ち合わせたので少し辺りを散策することにした。カオサンロードの裏手の通りを散歩して食事をとり、解散する。彼女は意を決した様子で私を家に招いたが、そんな風に旅人を信用してはなりませんよ、と伝えて一人帰途についた。

宿に帰ると受付のオムとポピーが中庭で鶏肉を揚げている。

オムが聞く。

「コウスケおかえり!晩御飯食べた?」

「軽く食べたけど、それ見たらまたお腹すいてきた。」

「食べ食べ。」

お言葉に甘えて揚げ鳥を食べさせてもらうことにした。

オムとポピー、そしてもう一人フィリピン人のゲストと食卓を囲む。本格的にお腹がすいてきたためレディーボーイのフライドチキン屋へと向かう。店の前まで来たところで、気が変わって隣のセブンイレブンに行くことにした。レンチンするタイプのレトルト食品の品揃えの豊富さをそれまで目にしており、気になっていたのだ。好物のガパオライスを買い、セブンイレブンの日本と同じサービスに感動しながら家路へ。宿につき、早速ガパオライスを温めて食べてみたがかなり出来が良かった。

ただ、少し量は少なかった。金額は60バーツほどだったか。余程遅い時間でない限りコンビニでご飯を食べる意味はなさそうだと感じた。

食中食後オムらと韓国人の宿泊客らと雑談してこの日はベッドへ。明日は友人のプロイとバンコクの洗練された都心、サイアム地区でランチだ。その後の晩、恐ろしい悲劇に見舞われることを、私はまだ知る由もなかった…

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明日の予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに毎日公開していきます。

次回は東南アジア屈指のリッチな地域「サイアム」探索と、奇妙な映画体験、そして泥酔とそれにまつわる悲劇など盛りだくさんです。それではまた明日。

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