2020年コロナの旅25日目:猫宿、朝飯、教会、トルコ人たち
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10時ごろにピロウズパーティーホステルからチェックアウトする。次はキャットホステルという宿。旧市街の周りの道に沿って時計回りに4分の1周したところにそのホステルはあった。例にもれず入り口が頗るわかりづらい。また、オーナーの猫好きおばあちゃんがあまり英語を解さない。部屋もピロウズと比べるとかなりこじんまりしていたが、どうせ宿で長時間過ごすわけでもないし、特に気にはならない。案内された部屋の空気は少し籠っていて、人の体臭がした。4人部屋には愛想が悪くもよくもない中東系の中年男性のルームメイトが一人いて、信用はできないけれどもひどくおびえるほどのこともなかった。簡単に自己紹介をして、換気をしていいか聞いてみると、寒くないか?まあいいけどさ…というような消極的な賛成を示す。
この男、あまり具合もよくなさそうなので、近くにいたくもない。早々に荷物をロッカーにしまって鍵をして、部屋を出てロビーで一日の計画を立てる。前日にマリアが教えてくれた、「ミルクバー」なるものに行ってみたい。
ミルクバーというのは19世紀末のポーランドに現れた安食堂のことで、もともと乳製品などを安く供するバーなのでそういう名前がついているらしい。一食10ズウォテ、すなわち300円くらいあればお腹いっぱい食べられるのだと言う。
グーグルマップでしらべ、近所で一番評価の高いミルクバーを訪れてみる。
店に入ると、シンプルな店内は御客さんでごった返していた。空席をなんとか見つけたので、金属トレイに各種のおかずが入ったものが並ぶカウンターへ。カウンターの向こうにはちょっと因業そうな老婦人が眼光を鋭くしている。
英語で話しかけると、老婦人は険しい表情でなにかポーランド語で私に語り掛ける。一語も分からないが、何を食べたいのか聞いているようだった。
「朝ごはん食べたいんですが、何がありますか?」
と英語で聞くと、返事はやはりポーランド語で、おそらくこちらの意志は伝わっていない。この際食べられればなんでもいいと思い、
「食べ物、ください」
と伝えてみた。しかしこれも老婦人の口から英語を引き出すには至らなかった。私の言葉を分かっていて、しかし自分では話さないのか、そもそも私の話が通じていなかったのか、今となっては分からない。彼らには何の義理もないので責める気は毛頭ないのだけれも、満場の客は私に助け舟を出す気配もなかった。私はいたたまれなくなって店を出た。
初挑戦のミルクバー体験が思ったほどうまくいかなかったうえ、他のミルクバーは少し遠くにあったので、別の朝食を検討することにした。
本当にインターネットはありがたいもので、「クラクフ 朝ごはん」で調べると多くの朝食スポット情報が日本語で出てくる。その中でも「激安、激ウマ!」の字がタイトルに踊る以下のブログを参考に、激推しされていたMiędzy miastowa(ミエンジ・ミアストヴァ)という店に足を運んでみることにした。
グーグルマップとにらめっこしながらミエンジがあるべき場所に来てみると、うち捨てられた倉庫のような建物がいくつか並んでいて何やら雰囲気が怪しい。灰色の空の下にあってそれらの白い建物はひときわ無機的に見えて、私はネットでみた様な活気ある店が営業しているか心配になった。
入っていいのかもよく分からないようなだらしない金網フェンスで囲まれたのっぺらぼうの建物群の中で右往左往していると、ようやくMIASTOWAの文字が見えた。
やっと朝ごはんにありつけそうだと思うと力が湧いてくる。少し足早に店に近づくと、店内にはちょっとした空席待ちの列ができている。「日本人は行列好き」というステレオタイプがあるが、ヨーロッパで行列ができているなんてよほどの名店なのではないかと期待は高まっていく。
屈強そうな若い男2人組と、1人で待っていた長身のブロンド女性のあとに私はカウンター席に通された。その一角は夜は(あるいは朝から?)バーになっているらしく、カウンターの向こう側には酒のボトルが山と積まれている。店内はコンクリートうちっぱなしの、いわゆるヒップな感じである。東欧のイマドキなバーの佇まいが確かにあった。
メニューはポーランド語と英語で書かれていたと記憶しているが、ネットでみた様な朝ごはんがない。というか食事メニューがない。コーヒーや酒類(やっぱり朝からバーとしても機能しているらしい)しか掲載されていないメニューを、誰かの助けを頭の片隅で期待しながら矯めつ眇めつ眺めるが、店員は賑わう店内でてんてこまいだし他の客たちからの関心はもとより望むべくもない。仕方なく忙しそうな店員を呼び止める。
「朝飯を食いたいのだけどもう終わったの?」
「いや、まだやってるよ。今日は金曜日だから、飲み物何でも1杯頼んだら1ズウォチ(30円)で朝ごはんセットに出来る。今日はオープンサンドイッチね。」
思っていた以上に朝ごはんが破格だったので驚きつつ、5ズウォテのアメリカンコーヒーに1ズウォチの朝ごはんオプションをつける。全部でおよそ200円ほどに過ぎない。
コーヒーはそもそもあまり好きではないので何とも言えないが、セットのオープンサンドは見事なものであった。1.5センチほどの厚さに切られた大きな田舎風のパン3切れにそれぞれ異なるトッピングが載っている。何かはよくわからなかったし、味はそこまで関心するほどのものでもなかったけれども、盛りの良さには圧倒された。勝手に注いで飲んでくれと置かれた水のピッチャーには生のミントとレモンが入っていた。
十分すぎるほど腹ごしらえが済んで宿に戻る。既に時刻は正午を回っている。相変わらず極めて籠った空気は好ましくない。外に出てみることにした。特に当てもないが、街の中心部の広場に行ってみよう。
旧市街の広場に着くと、ビッグトムが紹介してくれた聖マリア聖堂のツインタワーに目を引かれた。
入場に多少お金がかかるらしいが、せっかくクラクフに来たのだからそのランドマークを一通り見物しても罰は当たらないだろう。
ツインタワーは片方がもう一方よりも高いように作られている。ビッグトムによるとそれにはある曰くがあるらしい。
「昔この聖マリア聖堂を作る時に、クラクフで最も優れた兄弟の大工が雇われたんだ。この兄弟というのが昔から競争心が激しくてな。ツインタワーのそれぞれ一棟ずつを任されたのが良くなかった。すぐにどちらがより美しく、より高い塔を作れるかというレースになったわけだ。実は兄は密かに弟の方が優れた大工だと感じていて、それを常日頃から快く思っていなかった。同じような速さで工事は進んでいったが、弟の塔が良く見えて、それが辛い。そしてある時ついに、兄は工事現場にいる弟を突き落として殺しちまったんだ。その後兄は弟よりも高い塔を造ったが、罪悪感に苛まれてついには自分もその高い塔から飛び降りて死んだんだと、それが今俺たちが目にしてる、ちょいと高さは劣るが綺麗な塔と、それより高いが美しさに劣る塔のいわれってわけさ…」
と語った舌の根も乾かぬうちに、
「まあ本当はそんなのでたらめで、見張りのためにツインタワーの片方を高くするのは常識なんだけどな。機能上の問題さ。」
と明かしてしまう剽軽なビッグトムなのであった。
ツインタワーを外から見上げているとそんなことが頭をよぎる。中に入ってみよう。
外観もさることながら、内部の装飾はいよいよ壮麗である。特に、天井の緻密な文様には目くるめくような感覚を覚える(これを機にインスタグラムで「#教会の天井シリーズ」というハッシュタグを作ったのでよかったら見てみてください)。
教会を出ると冬のクラクフはもう薄暗い。家路に就こう。あの籠った空気のキャットホステルへ。
異常に加熱された空気が湿り気とともに滞るキャットホステルに戻り、受付の若い女性と立ち話をしてから部屋に戻る。上着をおいてダイニングキッチンに戻ると、トルコ人たちでごった返していた。私はカーンとユスフという二人のトルコ人学生とキッチンで話し始めた。
カーンは小太りの饒舌な男で、ユスフは筋肉質な、しかし穏やかで少し神経過敏な印象の男だった。二人とも眼鏡をかけている。彼らはワルシャワの留学生で、クラクフには旅行でやって来ているようだった。ワルシャワへの留学生繋がりでマリアのことを思い出し、カーンにそのことを言った。
「ワルシャワ大学の留学生で、マリアという子にあったよ。彼女はスペイン人だったが。」
「うん、ワルシャワの学生にとってはクラクフは定番の旅行先だよ。ところで君、そのマリアって子とどうにかなったりしたのか?」
「別に何もないよ。良い人だったけど。なんでそんなことを勘ぐるのかな。まさか知り合いってわけじゃないよな。」
「いやいや、そういうわけじゃない。でも君みたいな旅人はそういう面白い話を持ってそうじゃないか。君はなんかモテそうだしさ。さっきも受付の子と話してるの聞いて、アメリカ人かと思った。英語の訛りがさ。」
「アメリカ人のような訛りだとモテるのかな。」
「かっこいいじゃないか。とにかく、日本人離れしてるよ君は。」
日本人離れしてるとモテるってことなんだろうか、という疑問は口には出さず、代わりに腹が減ったのでビエドロンカで飯でも買ってくるというと、キョロキョロしながら調理していたユスフがチキンナゲットを勧めてくれた。カーンと私は、色々な話をした。我々はオスマン帝国に対する欧米目線の不当な評価に対して憤りを共有したが、日本の通貨の価値については意見を異にした。
結局、ナゲットだけでは足りなかったのでカバンにしまっていたピエロギを出してゆでる。中身は野沢菜のような青菜とシャンピニョンのようなキノコを刻んだものであった。
食事を終えると、熱気たちこめる薄暗い空間でトルコ語が飛び交う一種幻想的な喧噪を後にして自室へ戻った。その晩には他にまた2人のトルコ人が宿に泊まりに来たのだ。
自室に戻り、音、匂い、光を遮るために頭にカシミヤのマフラーをぐるぐる巻きつけて深い眠りに就いた。
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