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2020年コロナの旅6日目:買えるものと買えぬもの

2019/12/22

翌朝、戸をたたく音で目が覚めた。飛び起きて荷物をまとめる。クリーニングの客か。シアンはまだ寝ぼけている。私は寝入りはしたものの、自分の生殺与奪が己の掌中にない状態に変わりはないことを思い出し、表に人がいない隙を見計らってお暇することにした。

帰り道に見たストリート将棋

朝早く宿に帰る。もうこれから宿を移る気も起きないので、受付でバンコク最後の日まで延泊を頼んだ。


私はこの日、チャトゥチャック市場というバンコク有数の市場に行くことにしていた。その朝SNSで知り合った南アフリカ人と一緒に行くことにした。この女性のことを定家と呼ぶことにしよう。先に市場に行って定家の到着を待つ。定家はよく日に焼けた金髪碧眼の女性であった。かなりイギリス的な訛りの英語を話す。愛想がよいのですぐに打ち解けて市場を一緒に見て回った。ややハスキーな声でよく笑うのがなんとも南国的に思われた。南アは南すぎていわゆる「南国」ではないかもしれないが。

チャトゥチャック週末市場


「日本人の虎」「たけし」というような謎の日本語が、柳沢有紀夫氏が著書「日本語でどづぞ」の中で使っておられた言葉をお借りすれば「単なるデザインエレメント」としてあしらわれたTシャツや、多種多様な飲食物が犇めく小さな小道を抜けると、多少ひらけた通りに出た。

夥しい人出である。この広い通りは市場の心臓部に円を描いており、その円の中には食事を提供する空間があった。カオサンよりは少し安いが、観光地価格だし美味そうには見えない。しかし他に当てもないので定家と私はここで腹ごしらえをすることにした。定家は何らかの果実のスムージーを頼み、私は肉そばのようなものを頼んだ。どちらもあまりおいしくはない(コロナ禍以前はこういう分け合いがよくあったものだ)。またその喧噪すさまじきこと甚しく、まともに話もできないありさまだったので食後すぐさま立ち去った。定家はアジアに昔から興味があり、日本の障碍者支援学校で働くことが人生の中期的目標だと言っていた。タイでは貯金中だとか。
市場を一周し、私がひとしきり「日本人の虎」Tシャツを買うか逡巡して案の定買わないことに決めたあと、二人でカオサンに移動することにした。いつしか日は暮れている。


バスに乗り、カオサンに着く。定家がたまに来るというバーの道席(今後道にはみ出した屋外の席をこう呼ぼう)に腰かけると、彼女がバケツで酒を頼んだ。おそらく1リットルかそこらで300バーツもしたろうか。タイの観光地ではバケツで酒を飲むのが一般的なのだと言う。確かに一昨日の夜は宿でバケツからしこたま呑んだ。


いつしか二人の過去の恋愛の話になった。私はこの旅の一因となった別れの話をした。
遡ること約5年、2015年の夏に私はオーストリアにいた。京都大学の交換留学プログラムでウィーン大学に派遣されていたのだ。その終わりに交際を始めたオーストリア人の女性がいた。仮に箆と名づけよう。箆は私と恋に落ち、日本にまで追いかけてきた。その後何度か破局と復縁を繰り返し、この年2019年の夏ごろまでは東京にて同居していた。彼女は当時私に35万円ほどの借金があったが、ある日、それに加えてオーストリアの銀行から80万円借金をしているとの告白をうけた。そしてそれらの借りを返すため仕事をしたく、それにあたり良い働き口を母国で見つけたため帰国したいという。私は金額の大きさにも圧倒されたし、すでに長年の関係から信頼を置いていてため行っておいでと送り出した。彼女とはそれ以来音信不通である。
結果的に35万円と恋人を失ったわけだが、不思議と大きな動揺はなかった。冷静に二人用の不要に広い部屋を引き払い、家賃の安いところに引っ越すことにした。それにあたり、家賃の相場が安く、勝手も分かっている京都に戻ることにした。それが2019年10月、同年の秋のことであった。その後たまに押し寄せる寂しさに耐えかねてフィンランド人やカナダ人、ハワイ人の女性たちと逢瀬を重ねるも、どれもそう長くは続かなかった。11月に京大でできた友人たちと沖縄に旅に出て、旅が寂しさを癒してくれることに気づいた。それも一因となり12月のある日、ふと思い立って関空ーバンコク、バンコクーストックホルムの航空券を買ったのだ。


この話は今まで幾人かにしてきたが、皆ばつが悪そうに「大変だったね…」などといおうのが常だった。しかし定家は聞き終えると、思わぬことを言った。
「ああ私も同じような目にあったことあるよ。」
「え、同じ目?」
「うん、2年付き合ってた中国人の彼氏の学費120万円立て替えたら音信不通になっちゃったんだよね。」
確かに似てる。そして金額がでかい。
「そのお金、本当は日本なり自分の好きなところで働き始める時の元手になる予定だったんだけど、なくなっちゃったから今はタイで英語の先生してお金貯めてるとこなんだ。」
不幸自慢大会における敗北という勝利の複雑な味を、苦くも甘ったるい謎のバケツ酒で流し込んでいるうちに彼女の家に行くことになった。


彼女が住んでいるのは社宅ということだった。バンコクの最も経済的に発展したサイアム地区にほど近い所にあるその高層マンションには警備員が常駐しており、巨大なエントランスは総大理石造である。彼女の部屋はその11階にあった。
中に入ると、大きな部屋が4つほどあり、そのどれも綺麗に整頓してあった。私はシャワーを借り、ついでに寝間着も借りた。二人でベランダに出ると夜景が非常に美しい。ワットサケットの黄金の丘よりもはるかに高いところから見下ろす夜のバンコク。夜風は肌寒いくらいであった。
「この目の前にこれよりも高いビルが建つらしい。この夜景もいつまで見られるのか分からないね。」
定家はほとんど他人事のように言った。後で考えれば、全く他人事であった。彼女は数か月後にはコロナウイルスの影響でアイルランドへと引っ越すことになる。
定家と私は居間のソファで酒を飲みながら話を続けたが、翌朝は二人ともベッドで目覚めた。

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次回予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日はシンプルにムエタイを習う神回です。

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