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2020年コロナの旅5日目:受難、美食、試練(?)

2019/12/21

前日に酒をしこたま飲んでホステルの中庭のハンモックで眠りに就いた私は柔らかな木漏れ日にくすぐられて目を覚ました。すがすがしい気分も束の間、どうやら私の体をくすぐっていたのは木漏れ日ではなかったらしい。覚醒が進み感覚が鋭敏になるにつれて、くすぐったいというかジンジンと肌が痛むことに気づいた。見ると肌が出ている部分がことごとく蚊に刺されて大きに腫れあがっているではないか!「腫れあがっているではないか!」って言うけどもこんなところで7分袖の上衣に下は海パンという出で立ちで一晩寝ればこうなることは当たり前で、じゃあなんでそんな当たり前のことに気が回らなかったのかと言えば正体を失うほど鯨飲したからである。深酒はこわきもの。

それにしてもかなり広範囲にわたってひどい腫れ方をしていた。顔はなぜかそこまで刺されていなかったが、片目が開けにくい感覚があって虫刺されがあることを意識せずにはいられなかった。
腫れはひどかったものの痒み、痛みは耐えられないほどのものではなく、計画していた通りアイに勧められた「ワットサケット」という小高い丘にある寺院に行ってみることにした。今度こそバンコクを上空から一望するのだ。その前にもう1泊延長…受付に行って延泊を頼む。居心地がいいのもさることながらこの体調で移動をするのが億劫に思われた。受付のスタッフには、あんなに飲むからだと笑われたが、返す言葉もなかった。


サケットというのは「洗髪」という意味らしい。「洗髪寺」とでも和訳されようか。ラーマ1世が戦から帰った際に市内に入る前に当山で髪を洗ったのが由来だという。我が故郷清瀬の由来「清戸」は、ヤマトタケルノミコトが遠征帰りに当地に立ち寄って「土が清い」と仰せられたため「清土」と呼ばれるようになり、それに当て字されたのだという伝説があったのを思い出した。また東京においてしばらく住んでいた洗足という地の由来は、もともと田園の藁の束の風景から「千束」と名づけられたのが、当地の池のほとりにある寺に立ち寄った日蓮上人がその池で足を洗ったので「洗足」と表記を改めた、というものであった。古い地名などの由来にはいにしえの人々の精神世界が反映されているようで興味深い。


炎天下ワットサケットに歩いて向かっていると、前日の酒が少し残っていることが感じられた。光も暑さも歓迎しがたい状態であった。

猛烈な日差し。冬のバンコク。気温は30度を超える。

Golden mount(黄金の丘)と呼ばれる丘に辿り着くと、その森に一安心した。

木陰の中を歩めるのなら多少傾斜があっても随分ましだ。入り口の所には三猿の彫刻があり、その台座には「344 steps(344段)」と刻印されていた。


様々な彫刻の置かれた参道を登っていくと、中腹に瀟洒なカフェがあった。

一人でカフェに入る柄でもないのでそのままズンズン進んでいく。鳴らすだけで功徳をつめるという小さな鐘がいくつも参道に並んでおり、思う存分功徳を積んだ頃、頂上の寺院に到着する。50バーツ支払い、入場。様々な国の言葉で「かんげい」と書いてあったが、なぜかドイツ語だけ「Tschuess」とも書いてあるのが不思議だった。


一通り参拝を済ませ、いよいよ屋上の仏塔と展望台のスペースに登っていく。展望台からの景色は先日のワットアルンと比べて格段に良かった。しかし遠くまで見渡せる分、日本と比べるとやはり大気汚染が激しいのも視覚的に了解される。街全体に霞がかかったようになっている。


背後を振り返ると聳え立つパゴダもなかなかのものであった。

巨大で黄金。タイの仏教建築には欠かせない要素らしい。屋上の一角には銅鑼が置いており、試しにならしてみると思いのほか大きな音がする。

銅鑼を鳴らすやつ

この音はどこまで届くのだろうかと遠方を見遣るとさすがに感慨深い。巨大なパゴダをフレームに入れつつ自撮りをすることに難儀している観光客がおり、写真を撮ってあげて下山することにした。自分は虫刺されで醜い気がしたので写真は頼まなかった。帰り道には東南アジア諸国の国旗が描かれた巨大な銅鑼があり、これもならしてみると素晴らしい音がする。

売店の近くの木々には黄金の葉に願い事が書かれたものが括りつけてあり、絵馬とおみくじが混ざったような雰囲気を放っていた。


宿に戻ると、まだ昼前。例のタイ人長期宿泊客バンや韓国人のソク、その他スタッフらと、彼らの行きつけのカオマンガイ屋に行くことにした。
宿から歩いて3分程度のKhao man kai Hailamというその店はこぎれいにしてあり、感じが良かった。バンによるとここでは茹で鶏だけでなく揚げ鶏もえらべるという。両方食べたいので相乗せを注文。70バーツであった。運ばれてきたカオマンガイは非の打ちどころのない絶品であった。

毎日これがええ。


宿に戻って彼らは夕飯を一緒に作る計画をしていたらしく、私も仲間に入れてもらうことにした。バンの案内で、タイで初めてトゥクトゥクという自動三輪車のタクシーに乗り、市場に向かう。バン、ソク、ミン、もう一人の韓国人と私の5人で乗るとすし詰めだったが、市場につくのにそう時間はかからなかった。


市場は、日本人が「バンコクの市場」と聞いて想像するものそのままといった雰囲気であった。カエルの生け簀、バナナのつぼみ、多種多様な唐辛子、山積みにされた鶏の足など異国情緒ある食材が所狭しと並ぶ中を、原付に乗った主婦たちが行き交う。

我々は唐辛子と鶏肉、少し野菜を買って帰ることにした。日没が近い。


調理は主にオムとポピーが主導してくれた。今まで食べたことのないタイの家庭料理に心が躍る。

私はゲーン、いわゆる「タイカレー」が好きで、緑、黄、赤と様々なバリエーションを食べてきたが、その日オムたちは「白タイカレー」を作っていた(※後で調べたところ、トムカーガイというスープのようです)。


最終的には3品の料理が食卓に並ぶ。白ゲーン、芙蓉蛋のような卵料理、そして豚肉と空心菜をスパイスとともに炒めたもので、どれも本当に絶品であった。特に白タイカレーは何度も食べたい味。


夕食を食べ終わって食器を洗い、SNSで知り合ったシアンというタイ人の女性と会うことにした。先日パラゴンに行き来する途中見かけたVictory monument(タイ・フランス領インドシナ紛争の戦勝記念碑)の最寄り駅で待ち合わせる。

そこにいた彼女は美しく、自分は虫刺されだらけの体が恥ずかしくなった。まずは避けようもなく虫刺されの話になり、薬を買いなさいということで薬局に連れていかれた。彼女が翻訳してくれてステロイドの含まれる効きそうな塗り薬を処方してもらった。300バーツほどした記憶がある。なかなか良い値段だ。


彼女は連れていきたいところがあると言い、タクシーを捕まえた。よく知らぬ土地でほぼ初対面の女性にタクシーに乗せられるという状況にめちゃくちゃにビビりつつも、好奇心に負けて車に乗り込む。(薬局でも助けてくれたし良い子のはず…)と自分に言い聞かせる度、その親切すらも信用を勝ち取るための彼女の布石であったように感じられてくる。彼女の振る舞いにもやや不審なところがあり、それは初対面の外国人の男とでかけている気恥ずかしさからきているとしてもおかしくはなかったが、悪だくみをしているからだと言われればそれも納得がいく程度には様子がおかしかった。バンコクの夜道をタクシーはどんどん暗いほうへ暗い方へと進んでいく。あれほどすさまじかった交通の喧噪も今は遠のき、道行く人すらまばらになってきた。ほとんど街灯も無くなってきた。ここで何らかの犯罪に巻き込まれる場合、どのようなシナリオがあり得るだろうか。
1.彼女が豹変し、自ら凶器を突きつけるなどして何らかの恐喝をしてくる。
2.彼女とグルであるかはともかく、タクシーの運転手が銃を突きつけるなどして何らかの恐喝をしてくる。
3.彼女とグルであるかはともかく、タクシーの運転手が獲物の運び屋で、犯罪組織のいるところまで連れていかれる。
1番目の可能性は低そうに思われた。シアンは銃を入れられるような大きさのかばんは持っていないし、割とタイトな服を着ている。持っているとしても、ナイフか薬品の類だろう。その場合、襲われることを想定していれば反撃の余地はあると思われた。2番目の場合、彼女がグルならば彼女を人質にすることで時間が稼げる可能性がなくはないが、基本的には従順に従ったほうがよかろう。彼女を人質にとる場合裸締めなどでは即効性が低く威嚇の意味がないと考えたため、携帯していたかばんの中のボールペンを頸動脈に突きつけるのが良いと考えた。3番目の場合、助かる見込みはやはり少ないが、この場合も現状では唯一の希望は彼女がグルでその犯罪集団の構成員たちが彼女を大事に思っていると仮定し、彼女を人質にとるのが最もマシに思われた。


そういうわけでかばんの中に手を入れボールペンをいつでも取り出せる状態で待機していたが、結局運転手も彼女も変わった動きは見せぬまま薄暗い路地にタクシーは止まった。
彼女は運転手に運賃を渡すと、私に降りるよう促した。ボールペンを手の内に忍ばせて下車する。彼女が指示するままについていくと、だんだんと人通りが増え、ちょっとこじゃれた店の並ぶ、中くらいの通りに出た。各国で人を信用して苦い経験をしたことのある私はそれでも警戒を緩めず、前後左右に目を配り怪しい気配がないか確認する。


しばらく歩いて、かわいらしいパンケーキ屋の前で彼女が
「着いたよ」
という。なるほど一見それらしくない場所に連れ込んで安心したところを狙うつもりか。複数獲物の誘導先を用意しておいて、私の警戒具合を察知してこのオプションを選んだのかもしれない。


という考えもなかったことはなかったが、率直に言って私はかなり安堵した。何か起こったとしてもタクシーの中よりは明らかに勝算があるように思われた。
薬品を盛られることを警戒し、クレープも飲み物も遠慮しておく。というかさっきご馳走をたらふく食べたばかりなので食べたくても食べられそうにない。彼女はあいかわらず挙動不審で、おっかなびっくりクレープを食べさせようとしたりしてくる。なるほど、彼女も同じ皿から食べているし、薬を盛られていることはないだろう。少し味に興味もあったし、雰囲気を壊したくないという下心の助けもあって一口もらってみるとそれがなかなか美味くて気が付くと彼女の皿を丸ごと平らげていた。

※後でわかったことだがこれはクレープではなく「ロティ」というものらしい

彼女は笑って料金を払った。しっかり食べておいて年下の彼女に払わせるのは忍びなかったが、こちらも旅の身なのでありがたくごちそうになった。


「じゃ、行こうか。」
そういうと彼女は私の手を引いて歩き出す。私の空いた片手には未だにペンが握られてはいるが、ガードはどんどん下がっている。コウスケよ、ここが気の引き締めどころだ!と脳内で誰かが喝を入れている。今一度親指をペンの頭に添え、いつでも強力に突き立てられるように構える。


道が暗くなってきてまたぞろどんどん不安になってきた。街灯の壊れた暗黒の公園で数人の若者たちが屯している。暗さと恐怖心の見事な比例が興味深いなあ。などと思うむやみに冷静な自分もあったのだけれども。実際、暗いからと言ってそれ自体は危険を意味しないのに、見えないところに何か潜んでいるかもしれない未知の状態にこんなにも恐怖をあおられるというのは面白い。
そんなことを考えているうちに、彼女が
「着いたよ。」
という。私がタイ語を喋れないばっかりに、タイの人たちのうち英語に精通していない者は私に対してあまり多く語らない。もっともシアンは母語でも口数の多いほうではなさそうだが。


そこは真っ暗なクリーニング屋のような場所であった。店先にいくつもの洗濯機が野ざらしになっているからそう推理しただけで、ガラス張りながらカーテンの閉まったその部屋の中では何が待ち受けていてもおかしくなかった。さすがにこれはまずいと思い、入りたくないと伝えた。すると彼女はここが彼女の家だという。御母堂がクリーニング屋を経営しているらしい。半信半疑だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。彼女がドアの鍵を開ける。ええいままよ。


中に入って彼女が電気をつけると、目が疲れるタイプの白じろとした蛍光灯に店内が漂白された。店の片側の壁際には大量の洗濯物が積まれたりハンガーにかけられたりしている。もう片側は比較的整然としていて、棚と机を兼ねたようなものが置かれており小さな置物や家電の類が棚部分にびっしりと詰め込まれていた。その間には少し床が露出した空間があり、彼女はてきぱきとそこに布団のようなものを敷いた。彼女はトランプで遊ぼうという。

トランプで一通り遊んだ後、私はそのクリーニング屋の床で寝た。一緒にトランプで遊んだ仲とは言え、私は依然ボールペンを手放さず、貴重品の入った小物入れは肩に通したうえで体の下に敷き、私を起こさずに何かをとることができないようにした。


他人を信用することは、旅人にとって非常に危険なことである。旅の途中出会う100人中99人は善意の人々である。そういう人々を疑ってかかることは心苦しいが、悪意ある1人によって一瞬で人生が終わる危険をはらんでいる以上、その1人に合わせた水準の警戒を怠ることはできない。ひょっとしたら私の彼女に対する疑心を不愉快に思う人もいるかもしないが、自分の身の安全を確保できていない状態で利他的な行動もへちまもないもんだ。特に日本人の旅人は、警戒しすぎるほど警戒しておいて損はないと言ってまず間違いないと思う。


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明日の予告

2019年12月17日に始まった私の世界旅行。1年越しに当時の出来事を、当時の日記をベースに公開していきます。

明日私は恐怖の目覚めを迎えることになります。そしてその後、いかなる星の導きか、私と似た苦い恋愛経験を持つ南アフリカ人と出会い、人生の不思議さ、辛さ、素晴らしさに思いを馳せることになります。


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